中村哲(なかむら・てつ)さんの告別式が11日午後、福岡市中央区の斎場で営まれ、日本バプテスト連盟・香住ケ丘バプテスト教会の名誉牧師、藤井健児(ふじい・けんじ)さんが次のように弔辞を読んだ。
「中村さんがバプテスマ(浸礼)を受けたのは中学生3年生のとき。その頃はもの書きを目指していましたが、やがて『人助けをしたい』と医師を志すようになりました」
中村さんは以前、講演の中で、「『人助けをしたい』と思うようになったルーツは西南学院中学時代にある」と自らの青少年時代を振り返ったことがある。
そして、藤井さんが賛美歌(1954年版『讃美歌234番A』)を歌うと、参列者もそれに歌声を合わせた。「昔主イエスの播(ま)きたまいし いとも小さき生命(いのち)のたね 芽生(めば)え育ちて地のはてまで その枝を張る樹(き)とはなりぬ」。イエスの「からし種のたとえ」(マタイ13:31~32)を主題として、「社会的なものを」と作詞者の由木康(ゆうき・こう)が作った賛美歌だ。
また、告別式に参列した西南学院事務局長の高良研一(たから・けんいち)さんは話す。「平和を求める西南のスピリットを具現化した生き方をされた先生でした。中村先生とのつながりは、西南にとっての宝です。本当にショックを受けています」
中村さんの西南学院中学時代の同級生で同校校長だった和佐野健吾(わさの・けんご)さんが、「てっちゃん(中村さん)は自分を撃った犯人を憎まないだろう。貧困や政治の力に原因があり、『これまでの歩みを止めないでほしい』と言うのではないかな」と述べたことにも触れ、「私も同感です」と語る。
「この事件が深い痛みや悲しみを引き起こしたことには違いありませんが、中村さんがどういう覚悟で奉仕していたのかを考える必要があります。
このことがクリスマスの時期に起きたことも感慨深いですね。およそ2000年前に生まれたイエス・キリストは、自らの命を人々のためになげうちました。そして、自分を十字架にかけて殺そうとしていた人々に対して、『父よ、彼らをお赦しください。彼らは、自分が何をしているのかが分かっていないのです』(ルカ23:34)と神にとりなしの祈りをささげられました。それに倣(なら)う者として祈りを重ねていきたいと思います」