思い出の杉谷牧師(9)下田ひとみ

 

9 刑務所のクリスマス

その中に、刑務所のクリスマス会というのがあった。
刑務所の教誨師(きょうかいし)をしていた杉谷先生は、毎年クリスマスには招かれて、服役中の人々の前で話をし、祈りを捧げていた。この時は信徒のみならず、求道者であっても、希望する者は一緒に参加することができた。
「鳥取刑務所」と書いてあるバスが教会の前に迎えにくる。蝋燭と賛美歌の本を手に、私たちはそれに乗り込む。その日は先生の幼い子供たちも一緒だった。
そこは学校の体育館のようなところで、壇上からは集まっている人々が見渡せた。200人ほどだろうか。全員が男性で、頭を刈って灰色の服を着、ござの上に座っている。若い人も中年も年老いた人もいた。制服を着た看守の人たちが周りを取り囲んでいるのが、場に独特の雰囲気を与えている。
「みなさん、クリスマスおめでとうございます。どうしてクリスマスには、『おめでとう』と挨拶するのか、みなさんは知っておられますか。それはイエス・キリストの誕生日だからです。ではこのイエス・キリストとはどういうお方か、それをこれからお話ししようと思います」
杉谷先生の話が始まる。
私たちは火のついた蝋燭を手に、椅子に腰掛けていた。壇上に椅子は横向きに2列に並べてあり、先生は右端のマイクの前に立っていた。話は佳境に入っていき、先生の声には熱がこもってくる。ござに座っている人々は思い思いの表情で、うつむいたり、横を向いたり、壇上を見上げたりしていた。正座をしている人、胡坐(あぐら)をかいている人、視線を一点に集中している人、目をつぶっている人、いろいろな人がいる。
やがてその中で、多くの人々の目が前列左端の椅子に向けられていることに私たちは気がついた。そこには先生の下の子供で、3歳になる泉ちゃんが座っているのだった。
泉ちゃんに注がれている視線はさまざまだった。
懐かしそうに目を細めている人、思い詰めたようなまなざしを送っている人、こぼれるような笑顔で見つめている人。
泉ちゃんは先生似で、頬が赤く、まっすぐに切りそろえたおかっぱ頭がいかにも幼げで可愛かった。泉ちゃんが動くたびに、人々の間で小さな歓声がもれる。
そのうちに泉ちゃんの身体が段々傾いてきた。どうやら先生の話に飽きて居眠りを始めたらしい。
人々は笑い出した。声に出して笑うのではない。それはあまりの可愛さに思わず出てしまう微笑といったものだった。
うつむいていた人も、眼を閉じていた人も、壇上を見上げ始めた。今や皆が泉ちゃんを見ていた。泣き笑いのようにして涙を流している人もいる。
先生が気がついて、泉ちゃんのところに来た。小さな手に握りしめている蝋燭をそっと取る。人々はさざ波のような笑い声をあげた。
「恐れるな。見よ、すべての民に与えられる大きな喜びを、あなたがたに伝える。きょうダビデの町に、あなたがたのために救い主がお生まれになった」
先生の声とともに私たちは立ち上がった。
会場の電気が消される。

もろびとこぞりてむかえまつれ
久しく待ちにし主はきませり
主はきませり主は主はきませり

歌声が暗い会場に響きわたった。
泉ちゃんは壇上の席で、こんこんと眠っている。
私たちが持っている蝋燭の光が揺れていた。人々は蝋燭を見つめ、そして泉ちゃんを見つめていた。それはあたかも彼らの眼には泉ちゃんも、大きな光のように見えているかのようだった。(つづく)

下田 ひとみ

下田 ひとみ

1955年、鳥取県生まれ。75年、京都池ノ坊短期大学国文科卒。単立・逗子キリスト教会会員。著書に『うりずんの風』(第4回小島信夫文学賞候補)『翼を持つ者』『トロアスの港』(作品社)、『落葉シティ』『キャロリングの夜のことなど』(由木菖名義、文芸社)など。

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