思い出の杉谷牧師(7)下田ひとみ

 

7 ストラウム先生を送るために

ストラウム先生のお父さんは、先生が鳥取の教会に赴任していたこの時に、天に召された。
その報(しら)せが入ったのは雪の降り積もった祈祷会の夜で、その時ストラウム先生は風邪をひいて高熱を出し、宣教師館で休んでいた。
「ストラウム先生の風邪を癒やしてください」
皆でそう祈りあっていたそのあとに、訃報が届いたのだった。
全員が衝撃を受けた。
杉谷先生が報せを伝えるために出ていったあと、皆は祈って待っていた。宣教師館は教会の敷地内にあり、ほどなくして先生が帰ってきた。
「明日、ノルウェーに帰られます。神戸まで、私が送っていきます」
「ストラウム先生はどんな様子でした」
「とても悲しんでおられました」
次の朝早く私が教会に行くと、杉谷先生が宣教師館の前の雪かきをしていた。
「ストラウム先生の風邪の具合はいかがですか」
「それが、まだ熱が下がらんでなあ」
「そうですか」
先生と私はうつむいて、足元の雪を見つめた。
慰めの言葉をかけてあげたい。せめてそばで祈りたい。そう思いたち、はやる心で家を出てきたのだったが、いざとなると宣教師館のドアを開ける勇気が、私にはなかった。
寒い朝だった。シャーベット状になった雪の上に先生の長靴の跡が点々とついている。
スコップを持ち出し、私も雪かきを始めた。
「神戸には何時頃発たれます?」
「9時くらいかなあ」
灰色の空から間もなく雪が降ってきた。
先生と私は黙々と雪をかきつづけた。

ストラウム先生が鳥取に帰ってきた時、季節は春を迎えていた。
花壇のチューリップは風にそよぎ、色とりどりのパンジーが陽に照らされている。宣教師館の前の雪は溶け、乾いた土の地面が顔を見せていた。
ストラウム先生は思いのほか明るく、元気そうだった。久しぶりの帰国で、故郷の人々の歓待を受け、悲しみの中にはあったが、大いなる慰めもまた受け、信仰がさらに強められたようだった。
私たちは喜んだ。
ずっとあとになってストラウム先生から、あの雪の帰国の日、杉谷先生の運転で神戸へ向かう道中でのエピソードを私は聞いた。
高速道路に入り、一度休憩をとった。コーヒーを飲んでいると、杉谷先生が突然、「あっ」と声をあげた。
「どうしました」と、ストラウム先生は聞いたが、「いや、なんでもありません」という返事に、先生は故国の家族のことに思いを戻した。
だが、ハンドルを握りながら杉谷先生はずっと深刻な顔をしている。さすがにストラウム先生も途中から気になり始めた。
「杉谷先生、どうかしたんですか」
「いや、なんでもありません」
「からだがどこか悪いですか」
「そんなことはありません」
後日、杉谷先生は白状したが、実は休憩所に着いてから、運転免許証を忘れてきたことに気づいたのだった。
引き返すことはできない。車を置いて汽車で行くとすれば飛行機に間に合わない。
心の中で祈りながら、先生は高速を飛ばした。(つづく)

下田 ひとみ

下田 ひとみ

1955年、鳥取県生まれ。75年、京都池ノ坊短期大学国文科卒。単立・逗子キリスト教会会員。著書に『うりずんの風』(第4回小島信夫文学賞候補)『翼を持つ者』『トロアスの港』(作品社)、『落葉シティ』『キャロリングの夜のことなど』(由木菖名義、文芸社)など。

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