Q.望まない教会からの招聘(しょうへい)を断ることはできますか?(20代・神学生)
断ることは可能なのだが、なぜか躊躇してしまうということですね。ならばその躊躇する原因は……。
望まないところ(教会)にこそ、神のご計画、導き、招きがあると考えるから?
――確かにそうかもしれません。しかしそれは、「ふり返って」わかることではないでしょうか。聖書に登場する人々は自主的に望まない人生の選択をしたのではありません。望まない人生を「強いられた」のです。そして「望まない人生」の中に、主が「望まれた計画」があることをふり返って発見します。常にあえて望まない方を選択するという行為は、神と隣人に対し深い怒りをため込んでいく気がします。
さらにいくら好き勝手に生きたところで人は結局「行きたくないところへ連れて行かれる」(ヨハネ21・18)のです。この招聘を断っても、今の教会にある「望まない場所」があなたを待っています。ご心配なく。
それとも躊躇する原因は、招聘側の教会や、仲介に立ってくれた方々を失望させたくないからでしょうか?
――お聞きしますが、本当の失望とは何でしょうか。それはあなたが回答を遅らせることです。回答を引き延ばし相手側に期待を持たせることこそ、結果的に相手を深く傷つけることにならないでしょうか。
その気持ちがないなら速やかに、きっぱり「召命として受け取れませんでした。お断りします」とお伝えください。断ったら相手がどう思うかと変な気配りをすることではなく、正直な思いをはっきり伝えること、それが愛です。その後相手からの連絡は途絶えるかもしれません。しかしあなたはその決断を通し、神からの新たな召命を見出すでしょう。
最後にひと言付け加えます。逆に「望むところ」から招聘を受ければ幸せだとも限りません。悪魔は狡猾ですから、苦難や痛みよりも平安と喜びを通して牧師を堕落させますので、くれぐれもご注意のほどを。
しおたに・なおや 青山学院大学宗教部長、法学部教授。国際基督教大学教養学部卒業、東京神学大学大学院修士課程修了。大学で教鞭をとる傍ら、社会的な活動として、満期釈放を迎える受刑者への社会生活を送るための教育指導をはじめ、府中刑務所の教誨師として月1度ほど、受刑者への面談や講話を行う経験を持つ。著書に『忘れ物のぬくもり――聖書に学ぶ日々』(女子パウロ会)、青山学院大学の人気授業「キリスト教概論・Q&A」が書籍化された『なんか気分が晴れる言葉をください――聖書が教えてくれる50の生きる知恵』(保育社)など多数。