「まだ、成すべき業がある」 嶋田百々子 【地方からの挑戦~コレカラの信徒への手紙】

こんにちは。三重県南部、和歌山県東部の方が近い、海と山に囲まれた尾鷲市にあります日本基督教団尾鷲教会牧師の嶋田百々子です。

尾鷲教会は、私の母教会です。とても愛していただき育ちました。しかし私は、15歳でもっと素晴らしい世界を求めて、この地域から飛び出した人間です。1990年、日本経済バブル期のころです。

尾鷲市はかつて、火力発電所で栄えた市です。2004年に2号機が廃止となり、2018年には発電設備の完全廃止となりました。人口減少は下げ止まりを見せているものの、約1万5000人。予測だけを見れば、このままいくと4000人まで落ち込むというデータもあります。

主が、飛び出した私を、家族(主人、息子2人)とともにこの地に戻したのは、2005年です。まさに、人口が2000人規模で毎年減少していく、そんな最中でした。不思議なのは、皆さんに帰ってきた理由を聞かれるのですが、たくさん理由はあるものの、「これ!」という決定打が一切ないことです。主が2カ月ほどで、考える間もなく一気に私たち家族をこの地域に置いたという以外、うまく説明ができません。ただただ、主の大きな力だけは感じながら引っ越してきたことを今でも思い出します。

尾鷲教会も人口減少とともに衰退の一途をたどっていました。私の父はそのころ、自分が献地して1984年に建った、尾鷲教会所有の海山教会学校という建物が、尾鷲教会の首を絞めていくのではないかということを憂いていました。私が小学生のころはたくさんの子どもたちがそこで日曜日に教会学校に集っていましたが、戻ってきた時には、たまにクリスマス会などの集会をする場所になっていました。そして、徐々にそのイベントもなくなっていきました。

父は病気を患っており、2008年に天に召されました。私は、父の言葉「海山会堂が尾鷲教会の足枷となってはならない」という言葉に胸が締め付けられ、祈り、「ここを買おう。そして、私たち夫婦の終(つい)のすみかとしよう」と考えました。

ちょうどそのころ、台風が来て、近隣の家々に大きな被害をもたらしました。ところが、海山教会学校の建物は雨漏り一つしていなかったのです。とても不思議で、主の守りを感じました。私は静かにその建物の中にたたずんでいました。その時、主から「私の場所を取り上げないでくれないか」と優しく言われたのです。私は泣き崩れました。父が神様に差し上げた土地を自分のもののように考え、自分でなんとかしようとしていたのです。「神様、ごめんなさい。あなたの場所でした」と祈りました。そして祈りの中で「まだ、成すべき業がある」と示されました。成すべき業ですよ⁉ この、田舎で? 老朽化したこの建物で? オモロイ!! ワクワクする!!!

「わかりました、神様、信じます」と祈り、主の約束に向けて歩み始めたのです。この時点ではノープラン。このことを知っているのは私一人。また、牧師になるという道も、私の選択肢の中にはありませんでした。ただ、その間に主の憐れみにより、主人が受洗しクリスチャンとなっていました。

ここからどうなっていくのでしょう? 主の約束はどうなっていくのか? それはまた次号――混迷を極める中で働く主のお話ができれば幸いです。

ハレルヤ、主はほむべきかな!

しまだ・ももこ 1975年三重県生まれ。1999年受洗。2020年、日本基督教団伝道師となり尾鷲教会に仕える。2022年、名古屋中央教会にて按手礼を受け日本基督教団牧師となる。趣味:言語学習(喋れませんのでご注意ください)、ヒムズジャズ。

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