アメリカに移り住み、コロナ禍を経て会員の9割近くが去った教会の再建に携わり、同時に病院のレベル1トラウマセンターでチャプレンとして働く中で、私の心身は限界に追い込まれていた。夜中に2度も着替えるほどの寝汗をかき、明け方には不安で目が覚める。医療機関を受診すると、急性の適応障害と診断され、12回のセラピーを受けることを勧められた。
チャプレンを含むスピリチュアルケアやメンタルヘルスの分野が社会制度として支えられていることに、さすが先進国だと感じる一方で、それだけ多くの人が心に傷を抱え、社会が複雑化している現実も浮かび上がる。こうして牧師でありチャプレンである私は、一人のクライエントとしてセラピストの扉を叩いた。
深いソファに腰掛けると、彼女は穏やかな声で言った。「まずは、深呼吸をして。これまでの人生と、いま抱えている苦しさを思いつくまま話してください」
最初はプライドが邪魔をする。私は「支える側」の人間であり、「助けられる側」になることに、どこか抵抗があった。しかし、目の前のセラピストは私の過去を知らず、私がどれほどネガティブな言葉を吐いても、それを他言することはない。私はこれまで誰にも見せたことのない、自分の闇や負の感情を少しずつ言葉にしていった。
それは、長年一度も掃除をしていなかったシンクの排水管の継ぎ目にこびりついた垢を、そぎ落とす作業のようだった。本当は汚れていることを知っていながら、きれいなふりをして毎日使い続けていたのだ。あえて第三者であるカウンセラーに今の生活を言葉にすることで、自分自身を客観視できるようになる。
40代になり、チャプレンの道を究めたいと願って2度目のアメリカ移住。人が激減し、建物も限界に近づいていた教会の再建。日々、銃撃や事故で搬送される人々とその家族に向き合うトラウマセンターでのケア。新しい生活の全てのストレスを私はひたすらに吐き出した。
すべてを聴き終えた彼女は、しばらく沈黙した後、静かに尋ねた。「その状況の中で、いちばん辛いことは何ですか?」
私は少し考えてから答えた。「仕事そのものが辛いのではありません。自信が持てないこと、そしてこの国で自分が選んだ将来が、まったく見えないことです」
彼女は頷きながら、もう一つ問いを重ねた。「特に直近でストレスを感じる仕事はありますか?」
「来週、日系アメリカ人の方のお葬式を執り行います。私はアメリカで葬式を執り行うのは初めてです。やり方も何もかも分からない……。葬儀場の壇上に立った時、現地のアメリカ人が私を冷たい目で見そうな気がして、不安なんです」
すると彼女は、少し間を置いて言った。「では、催眠療法を提案します」
え? 催眠療法? 怪しい、怪しすぎる。間違った場所に来てしまったのではないか。どうやって逃げ出そう。日本人である私の頭に浮かんだのは、アニメやドラマで見た、「あなたは眠くなーる……」の誇張された催眠術のイメージしかない。
しかしアメリカでは、催眠療法は1950年代から、特に第二次世界大戦でトラウマを負った帰還兵の治療を通して広く導入され、カウンセリングの一分野として体系化されてきた。催眠療法とは、人を眠らせ無意識を操る技法だけを指すものではない。この分野を発展させた精神科医ミルトン・エリクソンによれば、人は変化に必要なすべての資源を、すでに自分の内に持っている。問題は、それにアクセスできなくなっているだけだ。催眠とは治療者が人をコントロールすることではなく、クライアントが自分の内的経験に注意を向け、これまで気づかなかった選択肢や可能性に気づくための方法である。
無意識は問題の原因ではなく、むしろ解決の源であり、尊重と適切な文脈が与えられれば、人は自然に自らを癒やす方向へ動いていく。すなわち催眠療法とは、肉体と精神を脱力させ、目を閉じ、自分のコアの部分、自分の人生を支え続けてきた内外の力を思い起こし、そこに再び繋がることなのだ。書いているだけでも怪しさ満点だが、これはれっきとした公的なセラピーである。
彼女は静かに言った。「それでは目を閉じて、私の言葉に沿って、思い浮かぶイメージを追ってみてください」
「あなたは母親の腕の中に、温かく包まれています。周りには何も不安はありません……。少し大きくなり、あなたは自分の足で立ち上がり、ドアを開けて外の世界に出かけようとしています……。大きな海に行き止まりました。あなたはどのように航海をしますか……。そして長い長い旅路を終えて、あなたは再び戻ってきました……。あなたを迎えにきてくれた人々がいます……どのような顔が浮かび上がりますか……。家に戻り、ゆっくりとソファーに座ります。これまでを思い起こし、そして次はどのような旅に出ようかと考え始めます……。それではゆっくりと3回呼吸をして……。ゆっくりと目を開けてください」
目を開くと、私は涙であふれていた。セラピストに何かを言われたわけではない。自分で自分のこれまでの旅路を思い出し、数々の苦悩を思い起こし、けれどもそれ以上に、数えきれない人々に私は出会い、支えられてきた。その人々の顔が、イメージの中で何度も浮かび上がってていたのだ。時計を見ると、約1時間が経っていた。
彼女は微笑んで尋ねた。「来週のお葬式を執り行うにあたって、自信はありますか?」
私は、少し驚くほど落ち着いた声で答えていた。「お葬式には100人を超えるアメリカ人、日本人、そしてインターネット中継で日本の人々も参加します。日本とアメリカ両方で働いた経験があり、バイリンガルでメッセージを語れる私が、適任だと思います」。不思議と、私は揺るぎない自信を取り戻していたのだった。
そして、お葬式の日がやって来た。日本とは何もかも違う中での、初めての経験だった。けれども私は、先日のセラピーの旅路をもう一度思い出し、ゆっくりと呼吸をし、静かに式を執り行った。不思議と、何の緊張もなかった。
ただ、亡くなった方とその家族に想いを注ぎ、「自分はこの場所に呼ばれたのだ。何も心配することはない」。そんな、もう一人の優しい自分の声が胸の奥でこだました。
葬儀は無事に終わり、遺族の一人が「あなたに頼んで良かった」と言って、私の手を強く握ってくれた。その夜から嘘のように、毎晩滝のように流れていた寝汗が止まった。私の中に、何が起きたのだろうか。私はチャプレンであり、牧師であり、ケアを与える側の人間だ。しかし同時に、クライアントとして、ケアを受ける側の人間に戻れたのだ。
こうして私は、セラピストのもとへ通い続けることになった。
*個人情報保護のため病院の規則に従いエピソードはすべて再構成されています。





