お坊さんに日本を任せアメリカに 【関野和寛のチャプレン奮闘記】第17回

日本に帰国して約1年半が経ち、大阪と神奈川のクリニックで働き、千葉県の教会の牧師をし、そして牧師養成の神学校でもチャプレンの働きを教える機会をいただき、十分に充実した日々を送っていた。だが、それでも私の心はうずいていた。アメリカのコロナ病棟でのチャプレン時代に得た知識と経験だけで仕事をし、講演をして回っている自分に限界を感じていた。その中で、自分の知識、技術、国際性をさらに磨き続けるために、ニューヨークに拠点を置く「ルーサランパトナーズチャプレンセンター」が提供するオンラインチャプレン研修に参加し始めた。

不思議なことに、実現不可能に見える道で、勇気を持って自分の中の歯車を回し始めると、不思議と周りも動き出す。ある日、スーパー銭湯のサウナで整い終わった後、携帯が鳴った。医療従事者であり、牧師を目指しているAさんから「チャプレンについて学ばせてほしい。長い間日本の医療界に関わっているが、治療を始めてもQOLが下がっていく患者さんをなんとかしたい」という熱い思いが伝わってきた。すると、翌日も知人を介して臨済宗の僧侶Bさんから連絡があった。「チャプレン道の手解きをしてほしい。臨床にこそ救いは必要だと思う。お寺に座っていても、救いを求めに来る人は本当に少ないのです」とのことだった。これはまさに、キリスト教会にも共通する事象だ。

手解きといっても、私ができることはスーパーバイザーや師匠から受けた知識をもう一度掘り起こし、それを彼らに伝えること、そして私が実際に行っている現場を見せることだけだ。しかし、ここで問題が起きる。知識は伝達できても、現場を見せることは非常に難しい。私が大阪と神奈川の病床でチャプレンとして活動できていることは奇跡だが、看護師や医師と違って研修システムが整っていないし、チャプレンの文化がない中で研修制度を作ることは極めて困難なのだ。しかし、僧侶と牧師の卵が同時に「私もチャプレンになりたい!」と志願してくれるタイミングは滅多にない。私はダメ元で、大阪のクリニックの院長に「すみません、チャプレン研修生を受け入れていただけませんか?」と尋ねてみた。すると、院長は「ええで!」と即答してくれた。

Aさんは関西在住だが、Bさんは東京在住で、牧師を目指しながら医療現場で働いている。Bさんの熱意は大きく、家庭や仕事、学業を抱えながらも、大阪に研修生として通い始めたのだ。私は彼らに自分の持っている知識を伝え、そして病床を一緒に回りながら、彼らが一人でも患者さんを訪ねられるように全力を尽くした。

それから1年、奇跡が起きた。大阪のクリニックが、私に加えてAさん、Bさんも雇ってくれることになった! 宗教関係でない病院や施設がチャプレンを雇うケースは、日本ではほとんどない。これが実は大きなネックなのだ。日本には宗教者が臨床でケアする為の養成コースや認定制度のようなものがいくつか存在する。だが認定を受けても現状ではボランティアで終わってしまったり、魂のケアではなく日常的なサポートの仕事で終わってしまうことが多いという。また教育内容、スーパービジョンや継続教育などが決定的に足りていない。やはり、チャプレンの仕事こそ、きちんと雇われ、働き、そして教育を受けるプロフェッショナルでなければならない。そうしていかなければ、将来日本でチャプレンの道を広げていくことは難しい。

帰国後、私はとにかく自分がチャプレンとして働ける道を模索し、あがいていた。

Aさん、Bさんとの出会いは、私の小さな歯車を、大きなうねりに変えていった。アメリカから帰国し、「なんとか日本でもチャプレンとして働き続けたい」という思いから、「アメリカでさらに知識と経験を積み、日本でプロのチャプレンを生み出していきたい!」という重い歯車がゆっくりと回り出し、私を前に進ませるのであった。

*個人情報保護のためエピソードはすべて再構成されています。

Image by Herbert II Timtim from Pixabay

再びアメリカでチャプレンを目指して 【関野和寛のチャプレン奮闘記】第16回

関野和寛 アメリカミネソタ州 ジャパニーズフェローシップ教会牧師/病院チャプレン 毎週メッセージ配信中https://youtube.com/@JapaneseFellowshipChurchMinnes?si=sugazGgni9Ip9iKt

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