痛み(Pain)vs 患難(Suffering) 【関野和寛のチャプレン奮闘記】第15回 

毎週、さまざまな施設や病院に出かけ、多くの人々と出会う。その中で一番多く聞くひと言がある。それは、「もう生きている意味が分からない」という言葉だ。深い苦しみと絶望が込められたひと言に、返せる言葉などない。病気の進行が止まらず、もはや治療の余地がない。あとは苦しみながら終末を迎える中で叫ぶ「もう生きている意味が分からない」という声。

小さな入所施設の一室で、自分のところにやってくる家族や友人はおらず、3食は摂れるものの誰かと人としての接点がない。毎日、テレビと天井だけを見て過ごす中で呟く「もう生きている意味が分からない」という声。チャプレンである私はその人々の身体の痛みを取り除くことはできない。けれども、その人を襲っている患難に耳を傾けることができる。人が患難を感じるのは、生きる中で襲ってくる苦しみの意味が分からない時に激しくなる。「なぜ私がこんなに苦しまなくてはならないのか?」「なぜこんな人生の最後の時間が悲しいのか?」この「なぜ」の意味が分からない時に患難の痛みは増すのだ。

在宅ホスピスケアを受けているFさんという男性を、私は毎週訪ねていた。Fさんはまだ働ける年齢だったが、末期がんを患い、自宅で最期の時を過ごしている。Fさんはあまり多くを語らず、自分の辛さや苦しみを直接表現することは少なかったが、時折ぽつりぽつりと本音を漏らしていた。「本当はもっと働きたかった……」「季節が良いから、動けるなら散歩に行きたい……」「もう固形物は食べられないけれど、お寿司が食べたい……」

毎週訪問するたびにFさんの容態は悪化し、身体の痛みは強くなる一方だった。私には医療的な治療を施すことも、痛みを和らげる薬を処方することもできない。また、クリスチャンでないFさんに対して聖書を読んだり、祈りを捧げたりすることもできない。何もできないばかりか、私の訪問は逆にFさんにとって負担であった可能性もあった。

だがそんなある日、Fさんが「昔はいろんな現場で働き、たくさんのものを作ったな〜」と語った。長年、工事現場で職人として働いていたのだ。「Fさんが工事に関わった中で最も思い入れのあるものは何ですか?」と尋ねると、「町の公園近くにある橋だな」と即答。私はその話を聞いて地図を広げ、Fさんが言っていた橋を探し出した。そして、クリニックのスタッフと共に車でその橋を訪れることにした。

橋は学校の横にあり、川を越えて公園へと続いている。全長15メートル、幅7メートルほどの小さな橋だが、その橋が地域の人々の生活を支えていた。学校に行く子どもたちや買い物へ向かう人々が楽しそうに歩く姿がそこにはあり、見ているだけで何とも誇らしい気持ちになった。

私は橋を渡った後、すぐにFさんの家を訪ね、「橋を渡ってきました。子どもたちやお年寄りまで、みんな嬉しそうに橋を渡っていましたよ!」と伝えた。Fさんは見たこともないような大きな笑顔で「よかった、よかった!」と答えた。私もまたFさんの笑顔を見て、心から嬉しくなった。

依然として、私にはFさんの身体の痛みを取り除くことはできないし、Fさんの残された時間に希望を届けることもできない。けれどもFさんの語る言葉に耳を傾ける中で、Fさんが生きてきた意味、Fさんがつくりあげた橋を見つけることができた。「もう生きている意味が分からない」と患難の中で、今日も多くの人が叫んでいる。けれども生きてきた意味、どんなに小さくてもその人が大切にしてきたもの、作りあげてきたこと、その宝物を一緒に探すことが私たちにはできるのではないだろうか。

*個人情報保護のためエピソードはすべて再構成されています。

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関野和寛 アメリカミネソタ州 ジャパニーズフェローシップ教会牧師/病院チャプレン 毎週メッセージ配信中https://youtube.com/@JapaneseFellowshipChurchMinnes?si=sugazGgni9Ip9iKt

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