誰かが信じてくれないと生きていけない(後編) 【関野和寛のチャプレン奮闘記】第14回

神経難病が進行し、ターミナルの時を迎えていたBさんは幻覚に苦しめられていた。「ホスピスの部屋の壁中に監視カメラが装着されていて、24時間監視されている!」「私の長年の切手コレクションを看護師が毎日盗んでいる!」――そう訴えるBさんに対し、医師は幻覚、精神科の介入を勧め、家族は「お父さん! しっかりして、カメラなんて一つもないし! 看護師さんがそんな古い切手を盗むはずないでしょ!」と耐えきれない感情を正論にしてぶつけてしまう。

そのような時にこそ、第三者であるチャプレンが介入できる。医学的観点からでもなく、また感情論でも正論でもない立場からその人の想いに向かえるからだ。Bさんの部屋に入り、私はBさんの恐怖と苦しみについて質問をしてみた。「Bさん、監視カメラがついていることを誰も信じてくれなくて、とても苦しい思いをされていると思います。そのこと、もう少し聞かせてくれませんか?」

「ずっと監視カメラで監視されていて、家族に外してくれと何度も頼んでいるのに、何もしてくれないんだ。妻も子どもたちも、私が病気になってから私のことをやっかいに思っているんだ。だから私の言うことなんて何も聞いてくれないんだ……」とBさんは悲痛な思いを吐露された。

事実がどうこうよりも、私はBさんの思いの中だけで話をすることにした。「そうでしたか。監視カメラでずっと監視され続けられたら、それは本当に嫌な思いですよね。しかも一番大切な家族に邪魔者扱いされていると感じるのは、この上なくお辛いのではないでしょうか?」

するとBさんはうつむきながら、さらに家族のことを語ってくれた。「妻とはいろいろなことがあった。修復できないほどのすれ違いもあった。けれども、それでも半世紀以上連れ添ったんだ。子どもたちも私の自慢なんだ。一人は大学教授、もう一人は小さな会社の社長をやっている。でも、そんな大事な家族から『頭のおかしなお父さん』と思われているのが、この上なく情けなくて、悔しいんだ……」

Bさんは神経難病からくる身体の痛み、意識障害などでこの上なく苦しまれている。その中で一番の心の拠り所であるはずの家族との信頼関係を失い、また医師からも見捨てられてしまったと感じているのだ。そのようなBさんに対して、私は何もお助けすることができない。そればかりか、かける言葉もない。本当に何もないのだ。重苦しい沈黙の後、「何もお役に立てなくてごめんなさい。でも、お話を聞かせてくださってありがとうございます。また来させてください……」と告げ、私は部屋を後にした。

このような、なんともやるせない思いをチャプレンとして働く時に必ず経験する。そして毎回「こんな仕事に意味があるのか!?」と、この上なく虚しい気持ちになるのだ。だが、それでも不思議と私はチャプレンの働きを続けている。何もできない、究極の無力さを携え、それでも翌週Bさんの部屋を訪ねた。するとBさんは、先週よりも晴れやかな表情になっていた。「おお、チャプレンさん。良く来てくれたね!」「今日は先週よりも安心されたお顔をされています。もしかして監視カメラがなくなった?」――するとBさんは答えた。「いやいや、まだあるんだけどさ。あれから考え方を変えてみたんだ。私は監視カメラで監視されているんじゃなくてさ、見守ってもらっているんだ。24時間、たくさんのカメラで見守ってもらっている。だから安心することにしたんだ。それからさ、切手も取られたんじゃなくてプレゼントしたと思うようにしたんだ。今ごろさ、封筒に貼られて日本のどこかに旅をしていると想像した方が楽しいじゃないか!?」

なんということだろうか。Bさんは極限の苦しみの中で、自ら状況を違う角度から見ることができたのだ。医学的に見れば、病気も症状も状況は変わらない。けれどもBさんは、自らの力で一つ前に進むことができたのだ。「チャプレンさん、信じてくれてありがとうな!」というBさんの声に、私も笑顔に変えられていた。

*個人情報保護のためエピソードはすべて再構成されています。

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誰かが信じてくれないと生きていけない(前編) 【関野和寛のチャプレン奮闘記】第13回

関野和寛 アメリカミネソタ州 ジャパニーズフェローシップ教会牧師/病院チャプレン 毎週メッセージ配信中https://youtube.com/@JapaneseFellowshipChurchMinnes?si=sugazGgni9Ip9iKt

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