約2週間前、日本から大きな段ボール箱が3箱届いた。中には1万6千羽の折り鶴が詰まっていた。私が初めてここアメリカの病院で病院聖職者チャプレンとしてコロナ室に入った時、患者に折り鶴を手渡した出来事が始まりだった。隔離された病室の中で究極の孤独の中にあった彼は1羽の鶴に涙を流して喜んでくれたのだ。そのことを私がSNSにて発信。「クリスマスにこちらの病院に千羽鶴のクリスマスツリーを立てたい! クリスマスの夜にはコロナ室の患者さんに直接折り鶴を届けたいから送ってください!」と呼びかけたのだった。
最初はせいぜい200羽くらいしか集まらないと思っていた。だが、日本のスタッフから驚くような連絡が舞い込んできた。郵便局留め先の職員から毎日電話がかかってきて、「量が多すぎて、これ以上局留めにできないから取りに来てくれ」とのこと。
送ってきてくれたのは1千人を超える人々、子どもからお年寄りまで、しかもそうちの多くの人々は私が一度も会ったことのない人だ。そして、たくさんの手紙が添えてある。孫と折ったおばあちゃん、「ガンを患い、コロナ禍の中、外に出られず、それでも参加できることが嬉しい」との声。全校生徒で参加してくれた学校やお坊さんや、神主さんからも。
後で知ったことなのだが、ここ数年私が勤める病院ではクリスマスツリーを飾ることを止めていたそうだ。それは多民族、多宗教のこのミネアポリスの街にあってはクリスマスツリーはどうしてもクリスチャンだけのお祭りとして捉えられてしまうからだ。
だが、この1万6千の鶴に宗教も人種もない。千代紙からスターバックスの紙袋で折られたものもある。大きさも形もすべて違う。まさに疫病と格差と分断で傷ついたミネソタに舞い降りた希望の渡り鳥のように私には思えた。 そして、この希望の折り鶴たちはペンテコステ、聖霊降臨祭に舞い降りた聖霊のようにも感じられたし、クリスマスを越えるクリスマスを私たちに見せてくれる気がした。
100年に1度の危機の時代。キリスト教会ではどうやってクラスター感染を防ぐように、それでもクリスマス礼拝を行うかを必死に考えていると思う。だが十字架のついていない、病院という私の教会の中で気がついた。
クリスマスはキャンドルを持ってクリスチャンが集まるイベントではない。予定調和のイベントでもないし、恒例のルーティーンを繰り返す年一行事でもない。誰もが予想しなかった圧倒的希望に出会ってしまうことを、クリスマスと呼ぶのではないか。まさに約2千年前、最初のクリスマスは外国の博士たち、そして労働者であった羊飼いたち、人種や文化、宗教も違う人々を一つの希望が照らした出来事だったのだ。
分断とブラックライブスマター(BLM)、そして疫病の猛威で苦しむこのミネアポリスの病院で必死にあがくこの私に、本当のクリスマスを教えてくれたのは、ささやかな祈りを込めて日本から鶴を折ってくれたあなたたちだ。(つづく)
狂った世界にGOD BLESSを。 ロック牧師 関野和寛 with THE BLACK SHEEP