9月20日「全てのニーズに応えた果てに」

 宗教の世界に、一つの巨大な市場が生み出されている。その市場では、ショピングセンターでは満足が得られないニーズが満たされている。この「宗教の市場」で一目置かれているのが牧師である。顧客に満足感を与える商品の提示が、牧師たちに期待されている。そしてすぐに、わたしたち牧師は「道徳的な忠告」や「宗教的な慰め」の売買取引を開始し、手垢のついた「お決まりの手順」へと嵌(は)まり込んでしまう。そして遠からず「流行りのプログラム・ディレクター」となったビジネスマンのような自分を見出す。わたしたち牧師は「神が造った商品(god-product)」を魅力的に展示するための方法を考案することに多くの時間を費やし、お客を喜ばせるために熟練するようになる。そして気が付くと、柔らかくてデリケートで捕らえがたい魂にはじまって、秘儀や神の愛や神の尊厳までもが、宗教的な市場の狂信と騒音の中で消し去られている。

また一方では、そびえ立つような高遠な主、あるいは救い主、そのような神がいる。顧客のニーズを満足させるべく出来合いの包装紙にくるまれ高価な値札がつけられたもの ―― そんなものは神ではない。その「神」の名を呼び、その姿を共同体のみんなが見ることが出来るようにする人が必要とされている。さて、そんな人は、はたしているのだろうか? 混乱や祝福、闇や光、「傷つけること」と「癒すこと」が共にある、そのような複雑な場所で、男とも女とも、大人とも子どもとも、寄り添ってくれる人。そして遂に、表面的には全く見えない奥深い所に栄光と救いが明らかになるのを見る人。そのような人がいるのだろうか。誰もかれもが「教会という店舗」の経営することに熱中している中で、誰が「本当の牧師」として立っているのだろうか?
 

そこで十二人は弟子たちを集合させて、こう言った。「貧しい人々を世話する働きによって、説教をし神の言葉を教える責任をなおざりにしてしまうのは、わたしたちにとってよいことではない。そこで、親愛なる諸君、あなたたちの間から、7人を選ぼう。信頼できる人で、聖霊に満たされ、よい感性を持っている人を選ぼう。その7人に、この仕事を任せよう。そして、わたしたちは委ねられた任務に、つまり、祈りと御言葉に、専念することにしよう。」
 ―― 使徒言行録6章2~4節

*引用される「聖書の言葉」はピーターソンさんの翻訳・翻案を訳したものです。

63db463dfd12d154ca717564出典:ユージン・H.ピーターソン『聖書に生きる366日 一日一章』(ヨベル)
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