祈りの中で、自分たち自身を信頼できないことは紛れもない事実である。他者の助けなしでは、祈りは自分本位なものになる。すなわち「信心深い感情」や「宗教的な向上」あるいは「霊的名声」などに、わたしたちは、すっかり気を奪われてしまうことになる。だから、わたしたちに向けられている神の言葉へと意識を向けなければならない。改めて、神に関心を向けるためのガイド役となる祈りの熟達者が必要なのだ。
神に聴き続ける中で、疑いや皮肉や誘惑などがこぞって邪魔をしてくる。そしていつしか、わたしたちは自分自身に傾聴してしまう。だから、そんな時にこそ、わたしたちを目覚めさせてくれる神学者が傍にいてくれればと思う。そのようなよき神学者は、祈りにおいて神の主権を再確立することを助ける必須の技能、ひたむきな思想、それに忍耐力を与えてくれる。その技能・思想・忍耐によって、再び、わたしたちは、神を第一とすることが出来るようになる。
ピーター・ティラー・フォーサイスこそ、そうしたよき神学者である。英国会衆派の牧師・神学者で、わたしが産まれる前の1921年に亡くなった、しかし、わたし自身やわたしの友人たちの人生の中で、祈りを必要とする時はいつも、実に35年間もの間、友人あるいは朋友として、フォーサイスはわたしの傍らに居続けてくれた。わたしはフォーサイスを、非常に信頼の足る、計り知れないほどに精力的人物だと思う。
よき友よ。わたしが言うことを受け止めなさい。
わたしの助言を集め、命をかけてそれを守りなさい。
叡えい知ちの世界に耳を傾けなさい。
悟りの人生へとあなたの心を向けなさい。
―― 箴言2章1~2節
*引用される「聖書の言葉」はピーターソンさんの翻訳・翻案を訳したものです。