福音は全く地質学的である。次のような地名― シナイ、ヘブロン、マクペラ、シロ、ナザレ、エズレル、サマリア、ベツレヘム、エルサレム、ベトサイダなどという地名は福音に根付いている。全ての神学は地質学に根付いている。聖地への巡礼は往々にしてダビデがキャンプを張った場所や、イエスが住んだ町などが人々がかつて住んでいた故郷と余り変わらないことを発見し驚くことがある。
もし、わたしたちの超自然現象を信じる悪影響がこれらの小さな価値のない町を軽蔑することや、霊的に鈍い市民たちに耐えられないならば、わたしたちは何を信じているのかを再度吟味すべきである。というのも、聖書の原典における超自然とは、野暮な偶然性とは関係なく豪華でカラフルな浮遊する熱気球ではなく、洗面器を持ち、ほこりを洗い流すタオルを持ち、たこが出来ている足を持つ僕(しもべ)としての神である。
フィリポはナタナエルに出会って言った、「わたしたちはモーセが律法の中にしるしており、預言者たちがしるしていた人、ヨセフの子ナザレのイエスに今出会った」ナタナエルは言った。「ナザレ。冗談だろう?」だが、フィリポは言った「来て、自分の目で見て確かめなさい」
― ヨハネによる福音書1章45~46節