1月3日「同胞たち」

わたしの同胞たちは、わたしに何かを「話す」のではなく、何かを「作りだす」小説家、詩人、作家たちである。小説家たちは存在の生の情報を入手し、意味のある世界を作る。わたしもまた同じような物語を作りだす仕事をしている。神はわたしの周りの人々を、救いの計画に引き込んでいる。あらゆる言葉や所作や行動がその物語の重要な部分を形成している。このように現実の創造に関わることは、絶え間ない忍耐と留意を要する。わたしはいつも近道を選んでしまう。人格の向上を手助けする代わりに、わたしは直ぐに分類してしまう。活動的かどうか、救われているかどうか、弟子なのか信仰から遠のいてるか、リーダー格か座席埋めの価値しかないか、などとかと分類してしまう。わたしが自分の人生の中で一人ひとりが、決して真似できない恵みの物語の中でユニークで素晴らしいのである。わたしは恵みと罪がドラマのように緊張関係にある特別の方法で前例のないことを見る代わりに、日課を効率よく切り抜けることが出来るようにとレッテルを貼ってしまう。一度レッテルが貼られると、その男女をもう「見る」必要がなくなる。わたしは彼らを「利用する」方法を知っている。
それ以来、わたしはフョードル・ドストエフスキー、ウィリアム・フォークナー、アンネ・テイラーやウォカー・パーシィーの著書を読んできた。創造的な仕事に身を挺しているアーティストが如何にして最も平凡な人や全く見込みがない人に対応し、つまり、平凡なことに予想もしない深さや、月並みに見えるような中に「善と悪」との可能性を見出しているかが分かるからだ。

わたしが今どう感じているかを、あなたがたは分かりますか? もう一度キリストがあなたがたの内に形作られるまで、わたしが産みの苦しみをしていることを分かりますか? 丁度母親が子どもを出産する時の陣痛のように。
― ガラテヤの信徒への手紙4章19節

63db463dfd12d154ca717564出典:ユージン・H.ピーターソン『聖書に生きる366日 一日一章』(ヨベル)
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