それぞれの文化には霊的な資産と負債を持っている。文化はそれぞれの言語、時代、そして歴史ごとに独特の洞察をもってスピリチュアリティーに貢献している。しかし同時にスピリチュアリティーの盲点をも露呈する。例えば、アウグスティヌスの時代のプラトン主義があった。それは広範な知的骨組みを提供してきた。しかし、それが災いして、十字架の独特な鋭さが鈍ってしまい、ぼんやりした人たちが物質主義に傾く結果となってしまった。同様に、中世のアリストテレス主義、宗教改革後半のカルヴァン主義や啓蒙主義の時代のロマンチシズムに関して、「複式簿記」のような複雑な議論が可能となってしまった。わたしたちはいつも、その時代に合わせて、福音が生み出すエネルギーと真理を受け入れることと、その文化独特の錯誤を避けることと、それらを識別する力を持たなければならない。北米のスピリチュアリティーはそれ独自の特色がある。ですから、わたしたちは味覚を磨き、最低なものと最高のものを識別できるようにならなければいけない。
ヨルダン川には罪を告白するために罪人が集まり、新しい人生を始めるためにバプテスマを受けていた。その後、多くのファリサイ派やサドカイ派の人々も現れた。バプテスマといわれるものがどんなものなのか、どうしてそれがそんなに人気を博しているかを知りたかったのである。その時「蝮の子らよ」とヨハネは言った。
―― マタイによる福音書3章6~7a節
*引用される「聖書の言葉」はピーターソンさんの翻訳・翻案を訳したものです。