11月1日「聖書を読む前の祈り」

 わたしたちの教育のシステムは総じて、間違った方法で聖書を読むように訓練している。わたしたちの教育システムに従うと、わたしたちは聖書から情報を得るために読むようになり、教理を取り出して手に入れるために聖書を読むようになり、何かを議論するために聖書を読むようになってしまう。いついかなる時にも、聖霊はわたしたちに語りかけてくださる。聖霊はわたしたちを愛と信仰の交わりに導いてくれる。ところが、わたしたちは聖書の一節一節を取り出しては研究することに忙殺されしまう。それは乱暴な読み方である。自分の子どもたちがそのようなことをすれば、わたしたちは決して我慢できないはずである。それなのに、自分の教会では積極的にそれが勧められている。そのような聖書研究に余り時間を取らないようにして、聖書を読む前の祈りにもっと時間をかけて祈る必要がある。御言葉を分析するよりも、むしろ御言葉をしてわたしたちに語らしめることが必要なのである。
 

イエスはこう言われた。
「農夫が種を蒔く、この物語に学びなさい。
だれでも御国のニュースを聞いて、
それを悟ることがなければ、
その種は地面に留まるだけである。
そうすると、悪い者が来て、
心の中に蒔かれたものを奪い取る。
農夫が蒔いて道端に落ちた種とは、
つまりそういうことである。」
 ―― マタイによる福音書13章18~19節

 
 
 *引用される「聖書の言葉」はピーターソンさんの翻訳・翻案を訳したものです。

63db463dfd12d154ca717564出典:ユージン・H.ピーターソン『聖書に生きる366日 一日一章』(ヨベル)
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