9月29日「モーセと共に祈る」

聖書の初めの五書に書かれている言葉は、命を創り出し、個性を形づくる力を持っている。このことはどんなに強調しても強調しすぎることはない。その言葉は、三千年の間、イスラエルと教会にとって基礎をなすテキストとして役割を果たしてきた。何百万人の男女がこれらの言葉を深く考え、その意味を吸収し、その含意(がんい)をよく考え、その文章のリズムや音を彼らの魂に響かせてきたのである。

 多くの場合、御言葉の朗読が祈りへと発展していく。祈りへと! なぜならば、この言葉が読まれていく過程において、この言葉は個人的に意味のある言葉になり、自分個人に向けられた答えが求められる。

 聖書は神の聖霊の霊感をもって書かれた。これは広く信じられている。同様に、聖書を読むこともまた聖霊の霊感をもってなされる。これも広く体験されている。聖書が書かれた昔の時も、いや現在それが読まれる時も、同じ聖霊が現臨し働くのである。聖霊が働く時「聖書を読むこと」は「聖書を祈る」ことになる。その時、聖書の言葉はわたしたちの頭から心へ移っていく。思考と概念だけでなく、生きるための状態とエネルギーを与える場所が心である。聖書の言葉は心まで届く。そのように聖書を読み、祈ることは大きな喜びとなる。

 「シリアの聖エフラエム」と呼ばれる聖人がいる。彼は五世紀に生きたクリスチャンである。彼は初めのページを読んだ時の体験を次のように述べる。

「それは聖書の最初の箇所だった。そこを読んだ時、わたしは大きな喜びに満たされた。その一言一言、一文、一文が手を広げてわたしを歓迎してくれたと感じた。最初の文章が駆け寄ってきてわたしに接吻した。そしてさらに先へと、わたしを導いてくれた。」
 

神の律法は、空の星々やあなたの足元の土台よりも真実で長く続く。星々が燃え尽き、地球がなくなった後でも、神の律法は生きて働く。
 ―― マタイによる福音書5章18節

 

*引用される「聖書の言葉」はピーターソンさんの翻訳・翻案を訳したものです。

63db463dfd12d154ca717564出典:ユージン・H.ピーターソン『聖書に生きる366日 一日一章』(ヨベル)
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