9月24日「心で読め」

 今日、読書は往々にして「消費」として広まっている。人々は本や雑誌やパンフレットを読み耽って情報を得ようとしている。それは、人間の大志や経歴、あるいは能力への「燃料補給」と考えられている。速読・多読こそがよいとされている。「分析的な読書」が推奨され、読書を通して物ごとを明確にすることが推奨される。そうでなければ、無意味で時間の無駄である。「霊的な読書」とは概(おおむ)ね恋人の活動である。つまり、言葉との戯(たわむ)れであり、文章の行間と文章そのものを同じほどに読むことである。それは悠々とした活動である。古い本の再読にしても、新しい本を始めるにしても、いつでもその準備ができていることである。また、遊び心に満ちたものでもある。つまり、友情の喜びを予測する活動である。

 また、祈りに満ちたものでもある。つまり「肉となった」言葉から始まった永遠の対話の中で、頭だけでなく心で読めば、すべての正直な言葉が何らかの形で進化できると確信している。「霊的な読書」とは、ホセアだけでなく、ホメロスにも通じるものである。
 

あなたから来る
叡知のかけらの一つから熟考し
あなたが為したことを
注意深く見ている。
あなたが命に関して述べた
全ての御言葉を味わい
命のことばの一つたりとも
忘れることはない。
 ―― 詩編119編15~16節

*引用される「聖書の言葉」はピーターソンさんの翻訳・翻案を訳したものです。

63db463dfd12d154ca717564出典:ユージン・H.ピーターソン『聖書に生きる366日 一日一章』(ヨベル)
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