7月24日「詩情は必要不可欠なもの」

 ひとつ奇妙なことがある。聖書の多くは、詩の形式で書かれているが、それを解釈する牧師たちが、全く詩に関心がないということだ。それは実に具合が悪い欠点で、改善されなければならない。クリスチャンの共同体は全体として詩を再発見しなければならない。牧師たちは彼らを導かなければならない。詩は牧師という職務に不可欠なのだ。詩は話者のオリジナルである。言葉は独創的だ。言葉によって、以前に存在しなかったものが存在するようになる。すなわち「知覚」とか「関係性」や「信仰」というものが存在するようになる。静かな深淵から、音が作り出される。人々は以前聞こえなかったものが聞こえ始める。そうして孤独は愛に変革される。空虚な深淵から、隠喩によって一つの絵が描かれる。人々は今まで見えなかった物ごとが見える。そのイメージによって匿名な存在から愛の存在へと変えられていく。言葉は創造する。神の言葉が創造する。わたしたちの言葉は創造に参与できる。

イエスは言った。わたしたちは秘密を隠し続けてはいけない。秘密を公にする。わたしたちは物ごとを隠すことはしない。明らかにする。あなたがたはこれに聞いていますか? 本当に聞いていますか?
―― マルコによる福音書4章22~23節

*引用される「聖書の言葉」はピーターソンさんの翻訳・翻案を訳したものです。

63db463dfd12d154ca717564出典:ユージン・H.ピーターソン『聖書に生きる366日 一日一章』(ヨベル)
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