7月23日「わたしたちの防衛線をすり抜ける。」

 譬(たと)え話はわたしたちの防衛線を根底から転覆するようにすり抜ける。譬え話がわたしたちの自我の城塞の中に一度でも入りこむと、何か変化が起こるのではないか。わたしたちの内で「クーデター」が起こり、急に銃剣を振り回すようなことが、起こるのではないかと考えるかも知れない。だが、そのようなことは起こらない。わたしたちの健全さは尊ばれ、保たれる。神は外から押し付けるように、神ご自身の臨在を表すことはしない。そうではなく、神は花や果実を内側で育てる。神の真実はエイリアンが侵入するようなものではない。神の真実は、ちょうど動物の求愛行動のように現れる。つまり、わたしたちの普段の生活の一コマ一コマが種のように用いられる。それは神の御国の中で受胎し、成長し、成熟する。譬え話はわたしたちの想像力に信頼を置く。換言すれば、わたしたちの信仰に信頼を置く。譬え話は家父長主義的のように、わたしたちを教室に集めて、物ごとを説明したり、図解するものではない。譬え話は無理やりにわたしたちを画一的な道徳歩調で歩ませようとしている訳でもない。

イエスが言う。神の国は農夫が蒔くからし種のようなもの。蒔かれた時はどんな種よりも小さいが、時間が経つと鷲が巣を作るほどに大きく育つ。
―― マタイによる福音書13章31~32節

*引用される「聖書の言葉」はピーターソンさんの翻訳・翻案を訳したものです。

63db463dfd12d154ca717564出典:ユージン・H.ピーターソン『聖書に生きる366日 一日一章』(ヨベル)
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