7月18日「ゆったりとした雰囲気」

 牧師のするべき傾聴は、たとえ、それが僅か5分であっても、急がずゆったりした時間が必要である。「ゆったりした時間」というのは、「霊的・精神的な資質」に関わる事柄である。それは、時間の長さではない。ゆったりとした雰囲気の中でだけ、人々は真剣に傾聴してもらっていると感じ、自分の尊厳と大切さをきちんと取り扱われていると感じる。人に話すことは、人の話を聴くのとは違う。聴くためには、話すよりももっと大きな集中力がいる。「この一週間、どれくらい多くの人々にキリストについて話してきたか」ではなく、「どれくらい多く人々から、この一週間、キリストにあって傾聴してきたか」を、自分自身に問わざるを得ない。わたしが聴いてきた人々の数は、たいてい必ず、わたしが話しかけた人々の数よりも多くはない。人が語るストリーに聴くことは、メッセージを取り次ぐよりもずっと多くの時間を要する。そのために聴いた回数を数え自己正当化しようとする強迫観念は邪魔になる。ですから、わたしはそのような思いを捨てなければならない。

 忙しいと、聴くことはできない。スケジュールがぎっしり詰まっていれば、自由に傾聴も出来ない。次の約束を守らなけばならない。次の会議に間に合わせなければならない。だがもし、一日に余裕の時間をもうければ、聴くための時間が十分に取れるはずだ。

イエスは「今いる所から離れなさい。休みをとって暫く休むがよい。」と言われた。出入りする人が多くて、食事をする時間も取れなかったからである。そこで一同は船に乗り、自分たちだけで、人里離れた所へ出て行った。
―― マルコによる福音書6章31~32節

*引用される「聖書の言葉」はピーターソンさんの翻訳・翻案を訳したものです。

63db463dfd12d154ca717564出典:ユージン・H.ピーターソン『聖書に生きる366日 一日一章』(ヨベル)
書籍のお求めは、ヨベルオンライン公式ストアアマゾンストアで

この記事もおすすめ