「哀歌」の最後の言葉はぶっきらぼうで、単刀直入でもある。「あなたは全くわれわれを捨てられたのですか? あなたは、わたしたちをはなはだしく怒っておられるのですか?」(哀歌5章22節)と記されている。ここにある神の怒りは、最も親密な関係の中で示されている。それも最高の人格的な面での祈りの中で聞き取られる神の怒りである。祈りとは、苦しみの最善の結実である。祈りの中では、神の怒りとは感情的に取り繕うのでもなく、皮肉っぽく正体を暴露させることもしない。神の怒りは「神のいと助けと救いの扉」をこじ開ける梃子として現れる。苦しむ時、人は祈りを通して、「あの人・この人の味方になってください」と神に求めるのではない。そうではなく、全ての人のために苦しみ、死んでくださったイエス・キリストを通して、「後悔の深さに見合った成果」を働かせて、「あの人・この人を贖(あがな)い助け救ってください」と神に求めるのである。
サタンの使いは
最善を尽くしてわたしを打ち倒そうとした。
実際、サタンはわたしを屈服させようとしたのだ。
―― コリントの信徒への手紙(二)12章7b~8a節
*引用される「聖書の言葉」はピーターソンさんの翻訳・翻案を訳したものです。