4月5日「光」

 

多くの場合「光」は文字通りか、あるいは隠喩(いんゆ)にしろ「闇」の中で輝いている。「闇に慣れることを学んだ」という人はいるが、「闇の中で完全に落ち着いていられる」というは人はいない。少しでも闇に脅(おびや)かされないようにと、わたしたちは様々な工夫を凝らしてきた。 ―― 、火、懐中電灯、ランプなどがそれだ。わたしたちは闇の中では、平衡感覚や遠近感を失いがちになる。悪夢はわたしたちを威嚇(いかく)し、恐怖はわたしたちを麻痺(まひ)させる。闇の中で、わたしたちの想像力は妖怪を作り出す。聞こえてくる音は不吉なものとなる。目に映る色々な動きは幽霊の影となる。闇の中に光が輝く時、このような恐怖と混沌にはリアリティーがないことが分かる。「光は闇の中で輝いている。闇は光に勝たなかった」(ヨハネによる福音書1章5節)とある通りである。光は秩序と美しさを明らかにする。あるいは、もしそこに恐るべき何かがあるとしても、その悪は万物の均整の取れた関係の中にあることが、光によってはっきり分かる。その光は万物は恐れるべきものではないことを示してくれる。

わたしたちは闇の中を生きているのではなく、光のなかを生きている。わたしたちは呪われているのではなく、祝福されている。闇ではなく光こそが、わたしたちが生きている本質的なリアリティーである。そして神が光なのである。聖書の著者たちは光とは何であるかを熟考したのである。彼らは黙想の内に、神についての真理を知り、さらなる真理を掴(つか)んだのである。真理を啓示するキリストの御業(みわざ)は、最も包括的な形で、そこに現れたのである。

再びイエスは言われた。
「わたしは世の光である。わたしに従う者は、誰一人、闇の中で躓くことはない。
わたしは多くの光を与える。
人がその光の中で生きるために。」
―― ヨハネによる福音書8章12節

63db463dfd12d154ca717564出典:ユージン・H.ピーターソン『聖書に生きる366日 一日一章』(ヨベル)
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