神は言葉を通して働くのである。言葉を使って、神は救いの物語を語っている。神はわたしたちを物語へと引き込んでくれる。信仰を持つとき、わたしは神が組み立てる筋書きに自発的に参加することになる。「嫌々ながら」または「最小限」に参加することもできる。あるいは、神の筋書きにある行いや他者との諸々の関係に自分を投げ込み、大胆にそして盛んに参加することもできる。そうした時に、わたしたちは祈る。神が作られる「救いの物語」の中心にある「対話」で使われる言葉遣いに流暢(りゅうちょう)になるよう、わたしたちは言葉や定型句を練習するのである。わたしたちの内とわたしたちの周りで救いの物語を作っている神の創造的言葉への返事としての自由自在の応答を育むのである。
あなた方のことを心に思い浮かべる度ごとに、わたしは神への感謝の叫びが沸き上がる。その叫びが祈りを引き起こす引き金となる。その時、わたしは喜びをもってあなた方のことを祈る自分の姿を見出すのである。
―― フィリピの信徒への手紙1章3~4節