2月26日「聖ヨハネ」

聖ヨハネは特別に魅力的な神学者である。聖ヨハネは、燃え盛る炎の下で神についての思索を巡らせている。「わたしは島にいた。その島はパトモスと呼ばれていた。」(ヨハネの黙示録1章9節)その島は監獄である。彼はいつでも瞬時に対応する人だった。または、目的に向かって走る人でもあった。そして、跪(ひざまず)いて祈っている人でもあった。それらは最も偉大なる神学者の姿勢の特徴である。歴史を振り返ると神学者とは「象牙の塔」に住み「硬く分厚い本」を書くことに没頭していると思われていた時代があった。しかし、重要な神学者たちはこの世の只中で、色々な活動の渦中で、神について書いたり考えたりしてきたのである。パウロは獄中から緊急に口述筆記で手紙を書いたのである。「コントラ・ムンドゥム(世界ノ敵)」と呼ばれたアタナシオス【295? ― 373.「三位一体論」に当たり決定的な役割を果たした】は実に、三人の皇帝によって五回も国外追放されたのである。アウグスティヌス【354 ― 430.初期キリスト教における最大の思想家と言われる】は、ローマの秩序とそのキヴィタス(都市)が解体する混沌を体験した人々の牧師であった。トマス・アクィナス【1225? ― 1274.中世西欧最大の神学者】は、議論されることもないままに間違いや異端がはびこる中で、ヨーロッパが霊的にも知的にもジャングルのようになりかけていた状況に挑戦したために、その知力を傾注したのである。カルヴァン【1509 ― 1564.宗教改革期最大の神学者と言われる】はジュネーブで改革者の波に乗る暴徒の中から神の人々を引き出し共同体を形成させようと、弛(たゆみ)みなく尽力したのである。カール・バルト【1886 ― 1968. 20世紀前半を代表する神学者】は労働争議を仲裁し、囚人たちを訪問して説教をしたのである。ボンヘッファー【1906 ― 1945. 20世紀後半から大きな影響を遺した神学者】はナチス時代に逃亡生活を生きた人々の指導者となったのである。聖ヨハネは固い岩だらけのパトモスに島流しとなったが、その時、キリストにある友に、異教徒の凄まじい攻撃が恐ろしい勢いて迫っていた……。

キリスト教共同体は、わたしたちに神について考え続けさせる神学者を必要とする。当てずっぽうにただ何かを語るだけの神学者は必要とされない。わたしたちの人生の最も深い次元で、心を尽くして、思いを尽くして、精神を尽くして礼拝できる神が必要なのである。遺伝学は今、全てを世俗化させる道具となっている。遺伝子が世俗されようとも、わたしたちから永遠の感覚が排除されることは決してない。わたしたちの存在は神に由来しており、神のため運命づけられている。そして「神」を見つめ、それを「学ぶ」ことを続けねばならないと確信している思想家がいる。その人々は「わたしたちは神が創造された世界に生きているのだ。「神:theos」と「ロゴス:logos」は両方とも切り離せない存在である。聖ヨハネは、わたしたちが秩序ある被造世界の中に生きているのであって、狂気の世界の中に生きているのではないことを、自らを律した精力的な思考によって聞き手・読み手を説得できる神学者たちの先頭集団の中にいるのである。

わたし、ヨハネは、試練に満ちたその歩みを進めるあなた方とどこまでも同伴し、共に神の国へと進み、イエスの内にある忍耐という情熱の全てを分かち合っている。そのわたしは今、神の言葉とイエスの証の故に、パトモスと呼ばれる島に閉じ込められている。今日は日曜日。わたしは御霊に満たされ祈っている。
―― ヨハネの黙示録1章9~10節

63db463dfd12d154ca717564出典:ユージン・H.ピーターソン『聖書に生きる366日 一日一章』(ヨベル)
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