清泉女子大の本館などが「旧島津家本邸」として重要文化財に指定

 

カトリックのキリスト教大学、清泉女子大学(東京都品川区)のキャンパスにある本館と3号館が昨年12月27日、「旧島津家本邸 本館及び事務所」として国の重要文化財に指定された。

旧島津公爵邸(清泉女子大学本館)

旧島津家本邸は、鹿児島の大名家である島津家の第30代当主・島津忠重(しまづ・ただしげ)の邸宅として、「日本近代建築の父」ジョサイア・コンドルが設計し、1917(大正6)年に完成したイタリア・ルネサンス様式のレンガ造りの洋館。建設当時から奇跡的に現存するステンドグラスなど、その趣のある重厚な雰囲気は、手入れの行き届いた庭園とともに同大を象徴する建物といわれる。

戦災を免(まぬか)れた邸宅は、戦後の日本の占領政策を実施したGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)の管理下に入り、駐留軍将校宿舎として54年まで使用された。61年に同大が日本銀行から土地と建物を購入。翌年、神奈川県横須賀から移転してきて、この旧邸宅が本館として使われるようになった。現在も聖堂や教室、会議室などとして利用されている。

本館は2012年、「旧島津公爵家袖ヶ崎(そでがさき)本邸洋館」として東京都指定有形文化財(建造物)に指定されたが、その際には旧事務棟(現3号館)は追加の「附(つけたり)」とされた。しかし今回、2棟とも国の重要文化財に指定されている。

清泉女子大学3号館

本館は地上2階と地下1階で、建築面積876・21平方メートル。事務棟は地上2階建てで、建築面積250・14平方メートル。関東大震災にも耐えた堅牢な建築で、階段の手すりや暖炉の彫刻、天井の漆喰(しっくい)装飾は、ほぼ当時のままの姿で残されている。英国人建築家コンドルの最晩年の邸宅建築の一つ。

「本館は煉瓦造で規模も大きく、内外ともに装飾を端正に整えつつ彼が得意としたベランダや大階段など、要所を華麗に装飾した本格的な洋館として価値が高い。本館は洋式の生活に特化したつくりで、家政を司る事務所も残るなど、近代の華族邸宅の在り様を知る上でも重要である」と高く評価された。

この地は1737年、仙台藩の伊達(だて)家が鯖江(さばえ)藩の間部家から取得し、その後約130年間にわたって下屋敷として使用された。1873(明治6年)頃、島津家の所有となったが、79年、東京の本邸を浜町から袖ヶ崎に移す際に和館の建設が始まった。しかしその後、和館の老朽化が進んだため、西洋館を新築することになり、日本政府の招きによって来日していたコンドルに設計が委託された。また、洋画家の黒田清輝の指揮のもと、館内の設備や調度が整えられ、1917年に落成。邸宅は、大正天皇・皇后の行幸啓が行われるなど、華々しい時代を送ったものの、昭和初期の金融恐慌のあおりを受けて敷地の大部分を売却することに。さらに第二次世界大戦下で大邸宅の維持が困難となり、日本銀行に売却された。

同大は、カトリックの女子修道会である聖心侍女修道会を設立母体とし、1938年に設立された清泉寮学院が前身。50年に4年制女子大学である清泉女子大学を設立し、今年6月に創立70周年を迎える。「まことの知、まことの愛(Veritas et Caritas)」の追究をモットーとしている。

「旧島津家本邸」は今も学びの場として使用され、学生たちに本物の文化に触れる環境を提供してきた。また、一般にも広く公開し、見学ツアーを4~6月と10~12月の各月4回、水曜日・金曜日(各回定員25人、所要時間約40分)、開催している。学生ガイドが邸内を案内するとともに、庭園も散策することができる。この春にも開催を予定しており(対象は個人)、その開催日程は大学公式ホームページに掲載されている。

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