Q.献金の用途に不満があります。「神さまの御用のために」とささげるものですが、やはりささげ続けるべきでしょうか?(30代・男性)
残念ながら、日本の教会で、お尋ねのような疑問を持っている信徒は少なくないと思います。献金に関する神学的・法学的検討が十分になされないまま、牧師や教会がその都度の必要に応じて説明してきたことに主な要因があるように思います。
近年は、公的機関だけでなく、私企業でも、ディスクロージャー(情報公開)やアカウンタビリティ(説明責任)が求められていますが、信徒の献金で運営される教会には、それ以上に、献金の使途を明らかにし、その理由を説明する責任があるように思います。
多くの教会では、信徒総会で年間予算が決められ、決算が承認されていますが、そういう手続をとっていない教会も少なくありません。信徒総会を経ているなら一応の説明がなされ、信徒の合意も得られていると思われますが、そうでない場合には、会計を任された牧師や担当役員は、使途を明らかにし、必要に応じて公表し、説明するという手順を踏むことが必要でしょう。
献金は、「神にささげるもの」とか、ご質問にあるように「神さまの御用のために(ささげるもの)」と説明されてきましたが、神学的には、それでよいのか疑問があります。法的には、法の華三法行の「天納金」判決で示されているように、詐欺に当たるとされる心配もあります(本紙2001年月日号「献金再考」参照)。神学的・法学的にきちんと考察することが献金を委ねられた教会には求められているとも言えるでしょう。また、そのことが信徒の疑問を解消することにもつながるでしょう。
献金を続けるか否かを決めるのは個人の信仰的判断によりますが、使途が心配であれば「指定献金」とすることで解決できますし、場合によっては、献金を一時留保したり、別建ての預金(献金口座)にしておくこともひとつの方法でしょう。
*本稿は既刊シリーズには未収録のQ&Aです。
さくらい・くにお 1947年、三重県生まれ。名古屋大学法学部卒業、同大学院博士課程(民法専攻)、東京基督神学校、米フラー神学大学大学院神学高等研究院(組織神学専攻)、高野山大学大学院(密教学専攻)を修了。日本長老教会神学教師、東京基督教大学特任教授。著書に『日本宣教と天皇制』『異教世界のキリスト教』(いずれもいのちのことば社)、『教会と宗教法人の法律』(キリスト新聞社)ほか多数。