【あっちゃん牧師のおいしい話】第7回 日ごとの「かて」 齋藤篤

私たちに日ごとの糧を今日お与えください。
(マタイによる福音書6章11節 聖書協会共共同訳)

私たちに日ごとの糧を毎日お与えください。
(ルカによる福音書11章3節 聖書協会共同訳)

イエス・キリストが教えてくれた「主の祈り」。この祈りで私たちはこう祈ります。日ごとの糧を与えてください、と。それが今日なのか、それとも毎日なのかという話題はとりあえず置いといて、あっちゃんの美味しい話、第7回目は「糧(かて)」という言葉に注目して、皆さんと一緒にいろいろ考えてみたいと思います。しばしお付き合いのほど、よろしくお願いします。

さて、この「糧」という言葉を、私たちはどのように考えることができるのでしょうか。面白いことには、この糧という言葉が具体的に何を指すのかということについては、私たちが住んでいる場所や文化によって全然違う、ということがあります。

僕がドイツで牧師をしていたころ、現地の礼拝を応援するためにオランダへ行く機会がしばしばありました。ある日、ライデンという街に立ち寄ったのですが、そこで聖書言語学者の村岡崇光先生のお宅に招かれて食事をいただいたときのことでした。メインディッシュは、それは美味しいラザニアでした。

僕が美味しい食事をいただいていますと、村岡先生がまさに「糧」の話をしてくれたのです。私たちが主の祈りで祈る「糧」とは、いったいどんな食べ物を指すのでしょうかと、先生は僕に尋ねられました。そう言われてみればなんだろう。当たり前のように使っている言葉を改めて考えてみると、なかなかパッと答えが出るもんでないなと、目の前にあるラザニアを見つめながら、うーん、そうですねぇ・・・と言ったところで、村岡先生は話を続けられました。

イエス様の時代はパンだったけれど、パンと聞いて、日本人はどう思うだろうね。パンよりももっと大切な「糧」があるんじゃないかな。例えば「ご飯」とかはどうだろう。「日ごとのご飯を、今日お与えください」と祈ったほうが、「日ごとのパンを、今日与えてください」よりも、私たち日本人にとっては、近く感じると思いませんか?

そんな話を聞いたあとに考えたのは、日本語の聖書を翻訳するときに、イエス様が食べていただろうパンではなく、あえて「糧」という言葉を用いて翻訳した人は、改めてすごいことをしたのだなあと思ったことです。ちなみに、先ほど挙げた聖書の言葉は、「糧」に「日ごとの」という言葉を付け足して、「日ごとの糧」としています。

日ごとの糧とは、日常的に食べている食糧という意味にとどまりません。「日ごと」という言葉の原語であるギリシア語の単語には、「私たちになくてはならない必要な」というもともとの意味があると言われています。つまり、「食べる」ということが、私たちの生活にピッタリと密着したところで語られている言葉が「日ごとの糧」ということなんですね。

このたび、クリプレで「おいしい話」を連載させてもらって、これまでの記事を振り返ると、天丼バターご飯悪魔のおにぎりと、米の話ばっかり書いているじゃないか!と改めて思わされたってわけです。もちろん、米文化ではない中東を舞台に書かれた聖書には、米などという言葉はただの一度も登場しません。でも、僕は米の話ばっかりして、聖書の物語とつなげようとしているのです。僕は思いましたよ。僕にとっての「日ごとの糧」とは、やはりお米なんだなと。そんなことをあれこれ考えていたら、ふと、村岡先生と話したときのことを思い出したというわけなんです。

余談ですが、我が家は今、妻ちゃんとふたりで食べるご飯を土鍋で炊いています。ガスで炊いた土鍋ご飯の美味しいことと言ったら、それだけで3回分くらいのコラムが書けそうな勢いですが、その土鍋ご飯をさらにおいしくさせるアイテムを、最近手にしました。それは「お・ひ・つ、お櫃(ひつ)」です。

前々から欲しいと思っていたところで、もう20年来のお付き合いであるKさんご夫妻から、使わないからあげるよとおひつをいただきました。早速、土鍋で炊いたご飯をおひつに入れて食卓へ。ああ、なんと美味しいことかおひつご飯!と、おひつごとご飯を食べたくなる欲求を抑えて半分残して、冷めた後もなおも美味しいご飯をいただきました。日ごとの糧を、今日もお与えくださった神様に、心から感謝!ということで、今回はおしまい。

あ、最後にひとつ。先日、東京基督教大学に用事があって行ったときのことです。食堂に掲げられていた「五餅二魚」と書かれた額にお目にかかりました。これを見て、その立派な文字に見とれつつも「ああ、そうか!」と思ったのです。皆さんもご存知のとおり、イエス様が起こされた代表的な奇跡である「二匹の魚と五つのパン」が、五餅二魚なのです。パンを餅という言葉に換えただけで、急に親近感がわいてくると思えませんか?

では、次回もおいしい話でお目にかかれるのを楽しみにしています!

齋藤篤

齋藤篤

さいとう・あつし 1976年福島県生まれ。いわゆる「カルト」と呼ばれる信者生活を経て、教会に足を踏み入れる。大学卒業後、神学校で5年間学んだのち、2006年より日本キリスト教団の教職として、静岡・ドイツの教会での牧師生活を送る。2015年より深沢教会(東京都世田谷区)牧師。美味しいものを食べること、料理することに情熱を燃やし、妻に料理を美味しいと言ってもらい、料理の数々をSNSに投稿する日々を過ごしている。

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