【哲学名言】断片から見た世界 プロティノスの弟子 ポルピュリオスの言葉

伝説的な哲学者のそばにいた弟子は、師のことをどのように見ていたのか?   :『プロティノス伝』を読む

今回の記事の主人公は、今から1700年以上前に3世紀のローマ世界を生きていた、ポルピュリオスという人です……が、この名前を聞いたとしても、哲学に関心があるという人の中でも「ポルピュリオスって誰?」と思う人は、決して少なくないことでしょう。彼は古代後期最大の哲学者の一人であるといわれる、プロティノスの弟子であった人です。

「われわれの時代に現れた哲学者プロティノスは、自分が肉体をまとっていることを恥じている様子であった。そして、このような気持ちから彼は、自分の先祖についても両親についても生国についても、語ることを肯んじなかったのである。」

このような書き出しから始まる『プロティノスの一生と彼の著作の順序について』(以下、『プロティノス伝』とする)は、プロティノスの著作の校訂をも担当したポルピュリオスが書いた、この哲学者の伝記にほかなりません。弟子の目から見て、この伝説的な哲学者の生きざまは一体、どのように見えていたのでしょうか。

弟子ポルピュリオスが目撃した、プロティノスの超人ぶり

ポルピュリオスは、当時の世界の中心であった首都ローマに30歳という年齢でやって来た時、59歳のプロティノスに出会いました。59歳といえば、いかに遅咲きなことで知られる哲学者という職業であっても、すでに円熟の頃合いを迎えている年齢です。プロティノスは思わず目が点になるようなさまざまな超人的能力を発揮することで、この新人の弟子を大いに驚かせました。

まず、プロティノスはこの上なく難解な論文を書く時でも、全く苦労しているようには見えませんでした。まるで、論のすべてが頭の中ですでに完璧に出来上がっているかのように、その内容をすらすらとしゃべりながら弟子に筆記させてゆくのです。その最中にお客さんがやって来てもまったく構うことなく、きわめて快活に談笑し、その人が帰ったら「さあ、再開しようか」という具合でした。そして、このようにして筆記させた後、内容を一度たりとも見直すことをしなかった(!)そうです。ポルピュリオスからすると、一体この人の頭の中はどうなっているのか、という気分だったに違いありません。

プロティノスは、人間の心の中を見通す能力も抜群に優れていたようです。一度、知り合いの婦人が大切にしていた高級品の首飾りが盗まれた時などは、召し使いをずらっと並べさせて一通り眺めた後に、その中の一人の男を指さして「この男が犯人だ」とだけ言って、それで事件は解決となりました。『プロティノス伝』にはその他にも、プロティノスの人気を嫉妬していた邪悪なヘイターの一人が、「うおおお、あんな奴呪ってやる!」と彼に怨念の呪術攻撃を仕掛けた(!)ところ、プロティノスは遠く離れたところからでもそれを一瞬にして感知し、パッカーンと呪いを打ち返して完全勝利した(!!)といった類のエピソードも記されています。これなどは、現代人である私たちからするとどう受け取っていいのか扱いに困る超人ぶりであるといえますが、プロティノスという人が、とにかくあらゆる面においてウルトラな人物であったことは確かなようです。

知恵を求めていたポルピュリオスが出会うことのできた、たった一人の「わたしの先生」

呪術攻撃のことは置いておくとして、本題に戻ります。愛弟子のポルピュリオスが彼の「プロティノス先生」について伝記を書き残してくれたことは、後の時代に生きている私たちにとっては非常に大きな意味を持っています。なぜなら、この伝記を通して私たちは、その後の1000年以上にわたって極めて大きな影響力を持ち続けた重要な哲学者の、日常の姿を知ることができるからです。

プロティノスの哲学は、目に見えるこの世界をはるかに超えたところに目に見えない〈知性界〉が存在し、さらにその彼方に、言葉で言い表すことさえもできない〈一者〉が存在するという、壮麗な体系をなしています。人間は魂の目を研ぎ澄ますことによって〈知性界〉へと上昇し、さらに、超人的な瞑想の翼に乗ってかの〈一者〉のもとにまで遡ってゆかなければならない……要するに、彼の哲学が問題としているのは日常の世界からは完全にかけ離れている、純粋な精神の世界にほかならないと言わざるをえません。

ところが、弟子であるポルピュリオスが読者である私たちの目の前に描き出してくれるのは、確かに人並みはずれたウルトラな能力を持ってはいるけれども、人には優しく、暖かい心を持った「善意の人」にほかなりません。プロティノスの講義を聞きに来ていた人のうちには、実社会でバリバリと働いている人もいれば、いつもとんちんかんな解釈ばかりしているおじさんもいました。女性の信奉者たちもいれば、まだ小さな子供たちもお父さんやお母さんに連れられて、元気いっぱいに彼のまわりをはしゃぎ回っていました。

こうしたことを考え合わせてみる時、「われわれの時代に現れた哲学者プロティノスは、自分が肉体をまとっていることを恥じている様子であった」という『プロティノス伝』の最初の一文は、いっそう印象深いものとして私たちに迫ってくることになります。この世の一体どこに、「自分が肉体をまとっていることを恥じている」ようにさえも見える叡智の人を見つけることができるでしょうか。一言で言って、プロティノスは、ポルピュリオスが自分の人生の中で出会った唯一のヒーローであり、かけがえのない、たった一人の「わたしの先生」だったのです。哲学を学ぶ人間にとって「この人は本当に本物だ」と思えるような哲学者に出会えるというのは、そうそう起こりうることではありません。そうした「わたしの先生」に巡り会うことができたという点で、ポルピュリオスという人は、学問の徒としてはまことに幸運な人であったといえます。

おわりに

こうしてポルピュリオスは、比類のない哲学者に出会ったことの記録を一冊の小さな本の形に残すことになりましたが、彼が師のために捧げたこの本は、彼自身の予想をはるかに超える貴重な宝となって、人類の記憶に残ることになりました。それというのも、私たちは彼が生きていた時代から1700年以上が経った今日においても、なおこの『プロティノス伝』を読み続けているからです。彼が信じた「わたしの先生」はこうして後の歴史にまで残る、本物の哲学の英雄であったことが証明されたのでした。

 






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