ローマへの旅立ち
司教ファウストゥスとのやり取りを通してマニ教に失望したのち、アウグスティヌスは地中海を渡って、ローマへと旅立つことを決意します。
「それゆえ、わたしがローマに赴き、これまでカルタゴで教えていたことをローマで教えるようになったのも、じつはあなたの導きによるものである。どうしてわたしがそうなったかをあなたに向かって告白せずにはいられない。それは、この点においてもあなたのもっとも深い思召しとあなたのわたしたちに対するもっとも深い情けを考慮して称揚せねばならぬからである……。」
これまで、生まれた北アフリカの地を出たことのなかったアウグスティヌスにとっては、この移住は大きな冒険に出ることを意味していました。今回の記事では、このあたりの事情について探ってみることにします。
アウグスティヌスは、なぜ旅立つことを決意したのか?
29歳のアウグスティヌスは、当時の世界の中心に近いローマに向かって、海を渡ることに決めました。ここには、主に言って次の二つの事情が関係していたものと思われます。
① まずは外面的なものですが、しかし、アウグスティヌスにとって実に頭の痛い問題がありました。アウグスティヌスが教えていた弁論術の学校では、学生たちがやりたい放題の乱痴気騒ぎを日々繰り広げていたのです。
若いとは一般に、エネルギーがありあまっていることを意味します。従って、いつの時代もそれほど変わらないもののようですが、一旦はしゃぎ出して悪乗りし始めた若者たちほど手に負えないものも、なかなかありません。講義に出ているわけではない学生たちの乱入によって授業が妨害されるなどといったことは日常茶飯事だったようで、教師としては優秀でなくもなかったアウグスティヌスも、学生たちの常軌を逸した放埓ぶりには、ただひたすら鬱になるほかなかったようです。そういうわけで、「ローマの学生たちはもっと大人しいらしい」という評判に促されて、彼は新天地に向かって旅立つ覚悟を決めます。
② さらには、ローマであればもっと地位も財産も得られるかもしれないという現世的な期待も、この移住の計画には働いていたようです。アウグスティヌスは、元来それほど出世に執着のあるタイプではありませんでしたが、人並みに「僕もいずれは、ビッグな人間になりたい……!」位には思っていたもののようで、これらの理由が合わさって、ローマ行きの計画が決定したものと思われます。
「跳躍すること」の本質
理由や事情はどうあれここで重要なのは、青年アウグスティヌスが、「海を渡って自分自身の可能性を掴み取る」という、人生を賭けた跳躍の企てに乗り出したという点なのではないかと思われます。
そもそも、人間として生きるとは、自らの「可能性に関わる存在」を生きることにほかなりません。つまり、それぞれの人が何をなしうるか、彼あるいは彼女がはたして何者になるのかといったことの内実は、その人自身にすら知られていないのです。これを知るためには、その人はまさしく「跳躍」してみなくてはなりません。つまり、リスクもポテンシャルもすべて自らの身に引き受けつつ、思い切って跳んでみなくてはならないのです。
注意しておくべきは、「跳躍」の行為は、その人自身が何に向かって跳躍しているのかを知らないままに行われ、その人自身の予想を常に超えるような生き方の根底的な変容をもたらすという点にほかなりません。
アウグスティヌスは地位や財産、あるいはこの世の成功に向かって勢いよく跳んだつもりだったかもしれません。「何かを成し遂げてやる」という若者らしい願望も、そこには働いていたことでしょう。ところが、彼が出会うことになるのは「〈愛〉のうちにとどまりながら生きること」という、彼が抱いていた望みよりもずっと慎ましく、しかし、真実な生き方の可能性にほかなりませんでした。摂理なるものは、人間の思いをはるかに超えて動いてゆきます。この世での成功を追い求めようとしていた一人の青年は、数年のちには「隣人を自分自身のように愛する」という務めの方を、それよりもずっと大切なものであると考えるようになるはずです。
おわりに
「天が地を高く超えているように、わたしの道はあなたたちの道を、わたしの思いはあなたたちの思いを、高く超えている。」かくして青年アウグスティヌスは新天地ローマに向けて準備を始めましたが、そこには彼にとって、一つの頭の痛い問題が存在していました。すなわち、ローマ行きに反対する母モニカの存在です。次回の記事では、彼がこの問題にどのように対処したかを見ておくことにしたいと思います。
[青年アウグスティヌスには非常に真面目な部分と、この世的なものに引きずられてしまう部分の両方があり、そのことが『告白』という本を、身近で問題提起なものにしていると言えるのかもしれません。読んでくださっている方の一週間が、平和で穏やかなものであらんことを……!]