【哲学名言】断片から見た世界 母モニカの見た夢

息子の堕落に涙していた時に、母モニカが見た夢とは

『告白』の物語にはさまざまな脇役たちが登場しますが、その中でも最も重要な人物はまず間違いなく、主人公アウグスティヌスの母モニカなのではないかと思われます。今回の記事では、このモニカの身に起こった、ある出来事について見てみることにします。

「しかし、あなたは高いところから御手を差しのばし、この暗い闇からわたしの魂を引き出された。そのとき、あなたの忠実な婢女であったわたしの母は、わたしのためにあなたにむかって、世の母親たちが愛し子のなきがらに注ぐよりもはげしく泣いた。[…]あなたは母の祈りに耳を傾けられた。じっさい、あなたがかの女を慰められたあの夢は、どこからきたのであろうか。」

ここで言われている「そのとき」とは、青年アウグスティヌスがマニ教徒となって、周囲の人々の間に驚愕が走った時のことを指しています。母モニカの見た夢とは一体、どのようなものだったのでしょうか。

夢の中のモニカは、大きく長い定規の上に立っていた

まずは、前回までの状況を確認しておくことにします。前途有望なはずの青年アウグスティヌスの母モニカは、自分の息子が、当時の新興宗教の一つであったマニ教(はるか昔に、この地上から絶滅)に入信してしまったことで、これ以上ないという位に大きなショックを受けてしまいました。

すでに述べたように、モニカはもうずっと、敬虔なクリスチャンとしての生活を続けていました。頭のよかった息子の将来には大きに期待を寄せていたでしょうし、「この子もいつかは私のように、キリストを信じるようになってくれたら、ウフフ……」と、そちらの方面でも希望をふくらませていたはずです。

そのはずが、今やその自慢の息子はマニ教徒の一員となって、「キリストもブッダもゾロアスターも、みんな最大にして最高の預言者、マーニーの先ぶれだったんだよ、母さん(だから母さんも、儀式で一緒にキュウリとメロンとブドウを食べよう)!」と、実の母親にも怪しげなるマニ教の教義を布教しようとやたらに燃え立っているわけです。母としては、もはやウフフどころの話ではなく、ただひたすらに泣き叫びたい気持ちで一杯だったに違いありません。

母モニカが印象深い夢を見たのは、そうした悲痛な思いに悩まされながら床についた、ある晩のことでした。夢の中で、モニカは大きな木製の定規の上に立って、息子のことで泣いていました。定規は公園にあるシーソーのように、彼女の立っているところから長く長く伸びています。「そんなに大きな定規など、あるわけがなかろう」との疑問はもっともことですが、何しろ夢の中でのことなので、何でもありです。

夢の中で聞いた言葉が、悲嘆のただ中にあった彼女にもたらした変化とは

母モニカのもとに近づいてきた一人の若者が、泣いている彼女に向かってほほえみかけました。「安心しなさい」と、その若者は言いました。「心配しなくとも、あなたのいる所に、あなたの息子もいるではないか。」

えっと驚いてモニカが目を上げると、同じ大きな定規の上には確かにその言葉通り、息子のアウグスティヌスも立っていました。ああ、確かに、息子もわたしのいる所に立っていると彼女が思ったところで、夢は覚めました。

夢から覚めると、彼女の心の中には不思議な希望が生まれていました。状況は絶望的であるようにも見えますが、彼女は自分の見た夢が彼女の信じている、イエス・キリストの父なる神から来たものなのではないかと思ったのです。その思いと共に、これから先に何がどうなるかは分からないけれど、きっと何とかなるはずだという気がしてきたのでした。

青年アウグスティヌスはこの話を聞いて、すぐに答えました。「母さん、それは母さんもいずれはマニ教徒になるっていうことのお告げに違いないよ!」頭の回転の速かったアウグスティヌス青年は、話を自分に都合のよいところに持ってゆくのが、昔から実に得意でした。だからこそ、弁論術の学校では首席の座を占めることにもなっていたわけで、言葉のマジックで白いものをも黒く見せてしまうことにかけては、彼の右に出るものはまずいなかったもののようです。

しかし、母モニカは息子のそうした言葉には惑わされることなく、夢の中のあの若者の言葉を思い出しながら、こう叫びました。「いいえ、あの若者は『息子のいるところにあなたもいるようになる』って言ったんじゃなくて、『あなたのいるところに息子もいるようになる』って言ったのよ!」この返答のうちに宿っていた断固とした調子には、その当時の自分もさすがに言い返すことができず、逆に、言いくるめようとしたこちらの方が「うっ」と思わされてしまったものであったと、アウグスティヌスは『告白』の中で振り返っています。母親の抱く深い確信の力が、息子が仕掛けようとした言葉のトリックを見事に打ち破った一場面であったといえます。

おわりに

「私たちは知っている、苦難は忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望を生むということを。そして、希望は決して私たちを欺くことがない。」この後にも、青年アウグスティヌスはマニ教のこと(そして、その他のもろもろの生活上の問題)で相変わらず母を悩ませ続けるので、状況が解決したわけではありませんでした。しかし、彼の母モニカは、困難や物事の暗い側面に負けてしまうことなく人生を乗り切ってゆくための一番の秘訣を、何があっても実践し続けることのできた人のようです。その秘訣とは、逆境のただ中にあって希望を持つこと、「全てのことは、きっと何とかなるに違いない」と信じ続けることにほかなりません。この世のあらゆる「もう無理だ」を超えて、「それでもなお!」は成就されずにはおかないのであって、背理なるものの力に望みを置く人間にとっては、不可能なものを信じることこそが唯一の力の源泉です。私たちとしては『告白』の物語を引き続き読み進めてゆくことにしますが、母モニカの生きざまについては、いずれまたどこかの機会で論じることになりそうです。

[誰もが不思議と何度も見てしまう映画の一つに、『ショーシャンクの空に』があります。かの映画の主人公であるアンディ・デュフレーンに逆境の中で生きてゆく力を与えていたのも、今回の記事で見た『告白』の母モニカの場合と同じく、「希望する」という神秘(最後の最後での逆転満塁ホームランの到来を、ただひたすらに信じ続けること)にほかなりませんでした。刑務所の中でも人間らしい生き方を見失うことなく、最後にはオープンカーで真っ青な海沿いの道を飛ばしながら、夢にまで見たメキシコの地を目指してゆくアンディ・デュフレーンの姿が胸に焼きついているという方は少なくないのではないかと思います。好みは人それぞれなので、普通は誰かに映画を勧めるに際しては細心の注意が必要ですが、「これをいい映画と言わずして、逆に何をいい映画と言うんですか」という位にいい映画であることは多くの人の同意するところなので、まだの方にはぜひお勧めさせてください。]

 

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