【哲学名言】断片から見た世界 ペトラルカの言葉の裏にこめられた意味とは

「善意の人として愛してください」:ペトラルカの言葉の裏にこめられた意味とは

「負けたようなふりをして勝ちにゆく」というのは、ひょっとしたら、論争における戦術のうちでも、最も巧妙なものの一つであると言えるかもしれません。ルネサンス期のイタリアを代表する文人であるペトラルカの主著の一つである『無知について』から、末尾の言葉を引いてみることにしましょう。

「わたしに残されているのは一つだけ。[…]他の友人たちには、そしてまたわが監察官たちにも、こころからお願いします。これからはわたしを、学識ある人としてではなくとも善良な人間として愛してください。これもだめなら、友として愛してください。そして最後に、美徳の欠乏ゆえに友の名にあたいしないなら、せめて善意の人、愛の人として愛してください。」

わたしは確かに学識のない人間ですが、どうか、善意の人として愛してください。一見、対決相手である「監察官たち」に向けられた懇願ともとれるこの言葉は、本当は、完膚なきまでの勝利を得ることを計算しつくした上で放たれた「とどめの一撃」にほかなりませんでした。今回は、上に挙げた言葉の裏にこめられている意味を、14世紀のヨーロッパを代表する論争の文脈に置き直して考えてみることにしましょう。

「善良ではあるが、無知」:言ってはいけなかった言葉

『無知について』は、当時60歳を超えていたペトラルカが、知り合った年下の知識人たち四人組から、ペトラルカ自身の人となりについて、ある評価を下されたことをきっかけにして書かれました。文人ペトラルカとそれなりに親密な時間をいくども過ごしたのち、自分たちの賢さを鼻にかけているこの四人組の人々は、うかつなことに、決して下してはならない「判決」を彼に対して下してしまったのです。

その「判決」とは、「この人は、善良ではあるが無知である」というものでした。要するに、「ペトラルカさんは文学界に名を馳せている有名人ではあるんだけど、あまり学問のことは知らないよね。いい人ではあるけど、もうちょっとアリストテレスでも読んで、ちゃんと勉強した方がいいんじゃないかなウフフ」というわけです。

後になってからこの評価を聞かされたペトラルカの反応がまさしく「激おこぷんぷん丸」と呼ぶほかないものであったであろうことは、その後の経過からも推察されます。というのも、この出来事の後に書き上げられた『無知について』は、イタリア・ルネサンスの雄であるペトラルカが持てる限りの古典的教養をフル動員しつつ、かの四人組を全員まとめてなで斬りにするという、正真正銘の血祭りの様相を呈することになったからです。うかつにも、年上の友人に向かって失礼な評価を下してしまった四人組の方にも非があったことは確かですが、若干、ペトラルカの方の応対の仕方も、ちょっと大人気ないのではないかという気がしなくもありません。

Image by Rick Brown from Pixabay

ペトラルカの「戦略」:負けたふりをして、勝ちを取りにゆく

ともあれ、このような文脈を踏まえた上で先の文章を読み直してみると、「善良な人間として愛してください」という言葉は、四人組たちから向けられた評価に対する、この上なく見事な切り返しになっていることがわかります。つまり、ペトラルカは彼らから突きつけられた「善良ではあるが無知」をひっくり返して「無知ではあるが善良」とすることによって、多くの物事を知っていることよりも、人間としてもっとずっと大事なことがあるのではないですか、と応答したのです。

この「善意の人として愛してください」はもちろん、単なる「いい人アピール」ではありません。ペトラルカは、パウロやアウグスティヌス以来の伝統である「愚かなる知恵」、そして「愛にもとづいた、学識ある無知」の路線を踏まえることによって論敵をやり込めることができるであろうとの冷静な戦況判断に立った上で、上の文章を書いています。嘆いているふりをしていますが、おそらく、半分以上は演技です。憐れみを乞うような「愛してください」の裏には、「悪いが、君たちにはこれで勝たせてもらう」が含まれているのです。

言葉による論争というのはまさしく仁義なき戦い以外の何物でもないのであって、人はそこでは何よりも、蛇のように賢くなければならない。戦いにおいては、勝ちだと思っていたものが負けになり、負けが勝ちに逆転するというのは日常茶飯事なのであるから、抜け目のない知恵を備えていない人間は、そこではただ敗れ去ってゆくのみなのである。しかし、人はまた同時に、鳩のように素直でもあるべきであろう。知略の限りを尽くして、ここぞというタイミングで「愛こそはすべて」を響かせることのできる人間のみが、本当の意味で勝利と呼びうる勝利を手にすることができるに違いない……。

おわりに

ペトラルカが書き上げた『無知について』はこうして、イタリア・ルネサンスを代表する書物の一つとして歴史に名を残すこととなり、21世紀初頭の今日でも読まれ続けています。ちなみに、このペトラルカですが、今回取り上げた出来事の顛末に関して、心を痛めて手紙を送ってくれた友人のボッカッチョに対しては「あんな奴らのこと気にしてても時間がもったいないだけだから、心配しなくても大丈夫だお♫」との返答を書き送っています。穏やかそうな人に見えても、年長者にはとにかく敬意を払うに限る(どうしても地獄を見たいというのでなければ)ことを教えてくれる一例であるといえます。

 






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