ペトロは、イエスの十二弟子のリストで必ず最初に名前が出てくる筆頭使徒、リーダーであり、伝統的に『ペトロの手紙』の著者とされる。
「ペトロの町、ベトサイダ」とあるように(ヨハネ1:44)、ガリラヤ湖北岸のベトサイダで生まれた後、数キロメートル西にあるカファルナウムに移住したと考えられる(マルコ1:21、29)。「しゅうとめ」(マタイ8:14)がいたので妻帯者だった(1コリント9:5)。
最初のイエスとの出会いは、高熱に苦しんでいたしゅうとめを癒やしてもらった出来事だ。その後、湖上から群衆に教えるイエスを自分の舟に乗せ、さらに大量の魚がかかるという奇跡に直面して弟子になっている(ルカ4:38~39、5:1~11)。その時、イエスから「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう」と言われ、ペトロは「すぐに網を捨てて従った」(マタイ4:18~20など)。
ラファエロ「奇跡の漁り」(ロイヤル・コレクション蔵)では、「主よ、わたしから離れてください。わたしは罪深い者なのです」とひれ伏しているのがペトロ、その後ろにいるのが兄弟アンデレである。もう一艘の舟で網を引き上げているのが「シモンの仲間、ゼベダイの子のヤコブ」とヨハネ、向こう岸には「神の言葉を聞こうと……押し寄せて来た」群衆が描かれている。
もともとアンデレは洗礼者ヨハネの弟子だったが、イエスの弟子になり、その後、ペトロをイエスのもとに連れていく。その時、ペトロはイエスから「あなたはヨハネの子シモンであるが、ケファ──『岩』という意味──と呼ぶことにする」と言われる(ヨハネ1:42)。また、ペトロが「あなたはメシア、生ける神の子です」と信仰告白をした時、「あなたはペトロ。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てる」とも言われる(マタイ16:18)。ペトロの本名はシモンだが、イエスによって付けられた名が「ペトロ」なのだ。「岩」はアラム語で「ケファ」、ギリシア語では「ペトロ」。『新約聖書』はギリシア語で書かれており、一方、イエスたちが日常使っていたのはアラム語だったのである。
ちなみに、4つの『福音書』とも、地の文ではほとんど「ペトロ」だが、イエスから呼び掛けられる時は「シモン」の場合が多い。会話文で「ペトロ」と呼んでいるのは、この「あなたはペトロ」と名づけた場面と、「ペトロ、……あなたは今日、鶏が鳴くまでに、三度わたしを知らないと言うだろう」と言う場面だけである(ルカ22:34)。
先ほどの信仰告白の直後、ペトロはイエスから次のように言われている。「わたしはあなたに天の国の鍵を授ける。あなたが地上でつなぐことは、天上でもつながれる。あなたが地上で解くことは、天上でも解かれる」(マタイ16:19)。カトリック教会では、この「天の国の鍵」の権威を継承してきたローマ教皇の初代がペトロだと考えている。
その後、イエスが十字架の死を予告すると、「主よ、とんでもないことです。そんなことがあってはなりません」といさめ、イエスから「サタン、引き下がれ。あなたはわたしの邪魔をする者。神のことを思わず、人間のことを思っている」と叱られている(16:21~23)。
また、多くの弟子がイエスの言葉につまずいて「離れ去り、もはやイエスと共に歩まなくなった」時にも、ペトロは「主よ、わたしたちはだれのところへ行きましょうか。あなたは永遠の命の言葉を持っておられます。あなたこそ神の聖者であると、わたしたちは信じ、また知っています」と言ってのける(ヨハネ6:66~69)。
ティントレット「ガリラヤ湖のキリスト」(ワシントン、ナショナル・ギャラリー蔵)にあるように、イエスが湖上を歩いて舟に近づき、「わたしだ」と話しかけると、ペトロが「主よ。もし、あなたでしたら、私に、水の上を歩いてここまで来い、とお命じになってください」と願い、「来なさい」と言われて湖の上を歩き出したが、途中で怖くなり、沈みかけて「主よ、助けてください」と叫び、なんとか助けてもらったイエスから「信仰の薄い者よ、なぜ疑ったのか」と言われてしまう(マタイ14:22~33)。
イエスがモーセとエリヤと語り合う「変貌山」では、「先生。私たちがここにいることは、すばらしいことです。もし、およろしければ、私が、ここに三つの幕屋を造ります。あなたのために一つ、モーセのために一つ、エリヤのために一つ」と提案する(17:1~4)。
「最後の晩餐」の洗足の場面でも、「主よ、足だけでなく、手も頭も」と求める滑稽なやりとりがあるが(ヨハネ13:9)、何より裏切りのエピソードが有名だ。「たとえ、みんながあなたにつまずいても、わたしは決してつまずきません」、「たとえ、御一緒に死なねばならなくなっても、あなたのことを知らないなどとは決して申しません」(マタイ26:33、35)、「あなたのためなら命を捨てます」(ヨハネ13:37)と啖呵(たんか)を切ったにもかかわらず、「ゲツセマネの祈り」では居眠りしてしまい(マタイ26:40~45)、逮捕の場面では大祭司の手下の耳を剣で切り落とすが(ヨハネ18:10)、イエスが逮捕されると逃げ出してしまう(マタイ26:56)。そして、イエスの様子を探ろうと紛れ込んだ大祭司の屋敷の中庭では、「あなたもガリラヤのイエスと一緒にいた」と指摘され、3度も「そんな人は知らない」と言ってしまうのである(同69~75節)。
ホントホルスト「聖ペトロの否認」(ミネアポリス美術館蔵)は、「ある女中が、ペトロがたき火に照らされて座っているのを目にして、じっと見つめ、『この人も一緒にいました』と言った」場面だが(ルカ22:56)、この絵では光源はたき火ではなく、女中が右手に持つロウソクだ。
復活のイエスがガリラヤ湖畔に現れて大漁の奇跡を再現する場面でも、それがイエスだと気づくと、裸同然なのを恥じてか、湖に飛び込むところもペトロらしい。その後、「最後の晩餐」を思い出させるように、イエスは使徒たちにパンと魚を与えて朝食をすませた後、3度の否認を咎めることなく、むしろ帳消しにするように、「ヨハネの子シモン。あなたはわたしを愛しますか」と聞き、「はい。主よ。私があなたを愛することは、あなたがご存じです」とペトロが答えると、「わたしの羊を飼いなさい」と命じるやりとりを3度繰り返す(ヨハネ21章)。
このようにイエスの愛を肌で感じる日々を積み重ねて、十字架と復活、さらに聖霊降臨を経験したことが、直情径行のペトロを初代教会の指導者にふさわしく変えていったのである。