(前編を読む)
どこに助けを求めるのか
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牧師にとってうつ病などが重荷になる二つめの理由は、多くの牧師がどこに助けを求めればいいかを知らないことだ。
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私は元フルタイムの牧師で、現在も牧師に関連した仕事に従事している。そういう立場からすると、苦しみのただ中にある人々の声を理解することはできる。その一方で、その声の主が関係している精神的な病や希死念慮の問題に対して、自分は十分に対処できるだろうかと感じることもよくある。あなたと同じように私も、牧師に必要な援助を提供している専門家や団体と協力関係にある。希望的観測だが、牧師が奉仕するほとんどの地域にもそういったサービスは存在するのではないだろうか。
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WHOによる人口10万あたり自殺率(年齢標準化)
それなのに私は、遠く離れた牧師から相談の電話を受けることが時折ある。彼らのまわりには誰も助けてくれる人はいないのだろうか。なぜこのような事態になってしまったのだろう。ほかにも、沈黙のうちに苦しみ、助けを求めて手を差し出すのが怖くて、電話をかけることさえできない教会のリーダーがいるのではないか。
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その理由の一部は、牧師がしばしば「助けを必要としない人」と見なされることがあるだろう。彼らは助けを提供する立場にあり、助けを必要とする立場にはない。しかし、目に見えないところで苦しみ、どこに助けを求めたらいいのか分からない牧師たちがいるという厳しい現実があるのだ。
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神がすべてを解決するわけではない……、まだ
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最後の理由は、福音における聖霊の満たしに関する誤解だ。これはたいへん危険な考え方なのだが、「ボーン・アゲイン(新生)を体験し、聖霊に満たされて歩めば、うつ病や精神的な病との戦いや苦しみなどの現実的な苦労は消えてなくなる」という教えが広められている。
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それは嘘(うそ)だ。そして、それを信じると、私たちは危険な前提を持つことになる。私たちは、「助け手となった牧師には助けは必要ない」と考える。と同時に多くの牧師は、「もし教会員に苦しみを知られると、牧師としての立場がなくなり、宣教が効果的でなくなる」と感じる。私がこれまで何度も書いたとおり、この不名誉さは確かに存在する。そのことは見過ごされがちだ。
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OECD各国の人口10万人あたり標準化自殺率。ピンクがOECD平均、オレンジが日本。
自殺したジャリッド・ウィルソンについてツイッターに投稿した後、次のような質問を受けた。これは、この問題についてよく聞く質問だ。「牧師が自らの希死念慮について教会の主要メンバーに打ち明けたら、その牧師のミニストリーは終わりだと思いますか」
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「それは教会による」と私は答えた。残念なことだが、多くの教会はその牧師を「資格がない」と見なすだろう。私たちは皆、そのことを知っている。
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ジャリッド・ウィルソン
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ジャリッド・ウィルソンはただの牧師ではなかった。彼はメンタルヘルス問題についての識者でもあった。多くの識者は、自らもその戦いを経験している。すべてのケースがそうだとは限らないが、自らも痛みの経験を持つことで、同じように苦しむ人たちに対する思いやりや共感を得ることは、しばしばあることだ。
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私は、ジャリッドが思いやりを持ち、他の人たちに手を差し伸べてきたことに深く感謝している。私たちはライフウェイ・リサーチでの仕事などで、メンタルヘルスについて、また彼自身が持っていた願いについて話し合う機会があった。その願いとは、「牧師や教会リーダーが日々の生活の苦しみを乗り切ることができるように助けたい」という願いだ。彼は「Anthem of Hope(希望の賛歌)」という非営利団体を設立していた。
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昨日、ジャリッドは自らの命を絶った。
彼自身、「自殺は正しい方法ではない」と自らに言い聞かせたに違いない。それは多くのものを置き去りにする。しかし私は、ジャリッドがやったことを「間違いだ」とは書かない。私は、「ジャリッドが元気だった時に教えてくれたことを行う必要がある」と言いたい。
いま、彼のウェブサイトにはこう書かれている。
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Jarrid would have told himself that suicide was never the right call. It leaves many behind. But I don’t write to say what Jarrid did was wrong. I write to say we need to do what Jarrid told us to do on his best days.
On his site right now, it says,
9月は自殺予防月間。みんなに「あなたの命には価値がある」と知ってほしい!……神があなたを愛していること、命の大切さ、そしてあなたの人生にはこの世界でなすべき目的があることをみんなに知ってほしい。希望はここにある!
そのとおりだ。
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He is right.
ならば、私たちには何ができるのか
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私たちにできるのは、まず悲しむことで、私たちはすでに悲しみの中にある。第二に、私たちは遺族の助けになることができるし、それは私たちが向き合うべきことだ。第三に私たちは、自分たちの教会で牧師や聖職者、教会指導者などが精神疾患に苦しんでいることを認識する必要がある。
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第四に、あなたがいま苦しんでいるのならば、助けを求めてほしい。助けを求めることを恥ずかしく思わないでほしい。絶望に私たちを呑(の)み込ませてしまってはいけない。たとえ痛みや傷の中にあっても、隣人を助けるために神が私たちを用いてくださるよう、神を信頼する力を焦らず見いだしていきたい。
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第五に、ジャリッドが始めたことを続けよう。ジャリッドのことを思い返して寂しく思うことはあるだろうが、彼が残したことは続いていく。私たち教会は、「舞台裏では牧師は不完全」(それは恥ずべきことではない)という事実を明確に語る必要がある。そして、助けを求めることができるミニストリーや場所があることを語り、「本物の信仰生活は、うつ病や精神疾患などの苦しみを克服させる」という誤解を最終的に乗り越えるべきだ。
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そして最後に私たちにできるのは、苦しむ人にとって教会がより安心できる場所になるよう務めることだ。
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先ほど紹介したツイッターにコメントをした人は、私にこう返信した。
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教会が牧師をスタッフか主任牧師として迎えるとき、「私たちを気遣ってくれるあなたがもし問題を抱えた時には、私たちはこういうやり方であなたを助けると約束する」と言うことができれば、それは素晴らしいことではないでしょうか。
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Wouldn’t it be great if a church could tell a minister coming onto a staff or a long time minister, “This is how we promise to care for you if you are in trouble, because you are caring for our people.”
確かにそのとおりだ。もしあなたが苦しみを抱え、自傷行為を考えてしまう時には、誰かに助けを求めてほしい。今すぐに。ホットラインに電話してください。今すぐ。あなたは独りではない。
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ジャリッド、君のことを思い返して寂しく思う。君が教えてくれたことを私たちが引き継ぐことができるよう願っている。(前編を読む)
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執筆者:エド・ステッツァー
本記事は「クリスチャニティー・トゥデイ」(米国)より翻訳、転載しました。翻訳にあたって、多少の省略をしています。
「クリスチャニティー・トゥデイ」(Christianity Today)は、1956年に伝道者ビリー・グラハムと編集長カール・ヘンリーにより創刊された、クリスチャンのための定期刊行物。96年、ウェブサイトが開設されて記事掲載が始められた。雑誌は今、500万以上のクリスチャン指導者に毎月届けられ、オンラインの購読者は1000万に上る。