【インタビュー】「パン・アキモト」の秋元義彦社長 阪神大震災をきっかけに生まれた「パンの缶詰」(前編)

 

1995年1月17日に発生した阪神淡路大震災。それをきっかけに誕生した備蓄できるパンの缶詰「PANCAN(パンキャン)」を製造・販売しているのが、クリスチャンの秋元義彦(あきもと・よしひこ)社長が経営する老舗ベーカリー「パン・アキモト」(栃木県那須塩原市)だ。

秋元義彦社長

当時、焼き立てのパン約2000個をトラックで運んだが、点在する避難所へスムーズに届けることができず、結局、半分以上のパンが被災者の手に渡る前に賞味期限を過ぎてしまい、処分せざるを得なかったという。

「そんなときに、被災者の方々から『歯が悪いと乾パンは食べられない』、『保存ができて、柔らかく、おいしいパンを作ってほしい」という声をいただいて、何とかできないだろうかと試作に取りかかりました」と秋元さんは話す。

──開発する上で大切にされたことは?

被災地の方に、とにかくおいしくて柔らかいパンを届けたい、その一心でした。「長期保存ができれば味は二の次」という方もいるでしょう。大人は「非常時だから」と考えて、味よりもエネルギー維持のために食べることもできますが、子どもはそうはいきません。むしろ、気の休まらない非常時だからこそ、おいしいものを食べて生きる糧(かて)につなげてほしいと考えたのです。

──最も苦労された点は?

保存性を高めることです。一般的に食品の保存技術といえば、真空パックや瞬間冷凍などがあります。しかし、パンを真空パックにすると、開封した際にどうしても「ふっくら」したパンに戻りません。一方、瞬間冷凍は、解凍時に水分が出てしまう。

「保存食としておいしいパン」の開発が袋小路に行き当たった時に、近くの農産物加工所で近所の農家の方が缶詰を作っている光景を目にしました。保存食のルーツといえば缶詰。先端保存技術から原点回帰を思い立った瞬間でした。

しかし、実際に柔らかいパンを缶に詰めるのはなかなか難しく、その作業工程で雑菌が入ってしまうんですね。

試行錯誤の末にたどり着いたのが、缶に生地を入れて、高温のオーブンで焼き上げ、粗熱がとれたら、すぐにフタをするという方法でした。これなら、焼き立ての香りも封じ込めることができます。また、缶の内側に和紙のような特殊な紙を巻くことで、焼いた時に出る水蒸気をその紙が吸収してくれ、パンがびしょびしょになることはありません。こうして、3年経っても、ふっくら、しっとり、おいしいパンが完成したのです。

「パンの缶詰」の製造工程

──2004年の新潟県中越地震と、その翌年のインドネシア・スマトラ島沖地震をきっかけに「救缶鳥(きゅうかんちょう)」プロジェクトもスタートしました。

被災者の方が「パンの缶詰」を食べておられる様子が報道されたことがきっかけで、スマトラ島沖地震の際に現地から「中古のパンでもいいので送ってほしい」という声をいただきました。そこで思いついたのがこのプロジェクトです。

まず賞味期限3年の「救缶鳥」を、個人や学校、企業、自治体などに防災備蓄食としてご購入いただきます。購入から約2年半後、賞味期限が残り半年になると、再購入・回収に関するご案内をします。それと同時に、備蓄してあった救缶鳥を弊社が回収し、キリスト教国際協力NGOの日本国際飢餓対策機構(大阪府八尾市)などと連携して、食糧難の地域や国へ無償提供するという仕組みです。

阪神淡路大震災の際に行った義援活動の様子

──社長自ら「パンの缶詰」を届けに行かれていますが、現地ではどんな反応がありましたか。

これまでに国内外を問わず、多くの被災地や貧困地域に「パンの缶詰」をお届けしています。東日本大震災の際は、被災されたご家族が「パンの缶詰」をほおばりながら「おいしいね」と言って互いの顔を見合わせ、涙を流すといったシーンをあちこちの避難所でたくさん目にしました。

海外の貧困地域や被災地でも、「パンの缶詰」を現地の被災者に配り、受け取った子どもたちが満面の笑みで感謝を伝えてくれます。パン一つでこんなに喜ばれるんです。毎回、持っていってよかったと思います。(後編に続く)

河西 みのり

河西 みのり

主にカレーを食べています。

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