【哲学名言】断片から見た世界:オルテガの『大衆の反逆』の言葉、その成功の秘密とは?

『大衆の反逆』:その成功の秘密とは?

およそ文章を書く人間にとって、自分の書いたものがどう受け取られるかというのは、常にスリリングな戦いの連続であるといえますが、時には、予想をはるかに超える大勝利という結果になることもありえます。オルテガの『大衆の反逆』から、この本のスタンスを象徴するとも言える一節を引いてみることにしましょう。

「これまでの要約をしてみよう。[…]ヨーロッパは歴史上初めて、文字どおり凡庸な人間の決定に委ねられたように思える。この表現を能動態にして、かつては指導された側にいた凡庸な人間が、決然と世界を支配しようとしている、と言い換えてもいい。[…]この試論はその勝ち誇る人間への攻撃の最初の試みであり、何人かのヨーロッパ人がそうした専制への意図に抗して精力的に立ち向かおうとしていることの告知に他ならない。」

文中の「凡庸な人間」とはこの本のタイトルにある通り、大衆のことを指しています。大衆社会のただ中で大衆を批判するというのは一見したところ、どう見ても自殺行為であるとしか思えませんが、実際にこの『大衆の反逆』という本を待っていたのは意外なことに、これ以上の成功はあろうかというくらいの大成功でした。今回の記事では、このようなある種の「奇跡」が起こってしまったのはなぜなのか、その背景を探ってみることにしましょう。

大衆をコテンパンに批判したのに、なぜか大衆社会から受け入れられるという逆説

オルテガが書いた『大衆の反逆』(1930年)は、大衆社会と呼ばれるものの到来に際して、「この大衆なるものを、そのまま放っておいてはいけない」と指摘しつつ、時代の危機を警告する本です。

オルテガの言うところによれば、当時、ますます本格的に姿を現しつつあった「大衆」とは、自分よりも賢い人間の言葉を聞く気の全くない人たちです。オルテガは、続けて言います。それにも関わらず、彼ら大衆は、自分たちの時代こそは人類の歴史の中で最も進歩した時代であると勝手に思い込み、軽薄な娯楽に浮かれ騒ぎ、その上、自分たちは知的に見ても道徳的に見ても、なかなかのものだと思い込んでいる……要するに、大衆とはまさしく何一つ救いようのない、「満足しきったお坊ちゃん」であるというわけです。

これだけ大衆を容赦なく批判したからには、当の大衆たちからは当然のことながら激しい反撃を受けるか、あるいは、完全に黙殺されたであろう……かと思いきや、先に述べたように、『大衆の反逆』は当時のヨーロッパ中で、まさしく「爆売れに次ぐ爆売れ」としか言いえないほどのヒットを記録しました。当時、ヨーロッパでオルテガの名前を知らない人はほとんどいなかったそうですから、ほとんどバラク・オバマかマイケル・ジャクソン並みの扱いであったといえます。一体、なぜこんなことになってしまったのでしょうか。

『大衆の反逆』は、なぜ受け入れられたのか?

1930年というこの本の出版年を考えてみると、ファシズムと共産主義とがますます勢いを増してくる中で、本格的かつ説得的な大衆批判論が切実に求められていたという時代状況が大きく関わっていたであろうことは、間違いありません。しかしながら、ここでは大きく次の二つに分けて、それ以外の理由を探ってみることにします。

1、まずは、言葉のプロであったオルテガの、状況判断の冴えを挙げることができます。思想家としてよりも著述家として生きてゆくと自らの進む道を見定め、幼少期からジャーナリズムの世界に親しんでいたオルテガは、どんな言葉が同時代の人々に通じ、どんな言葉がそうでないかを知り抜いていました。上に挙げた言葉は相当に強烈なものにも見えますが、たとえば、1930年当時にはこれと同じような主張をさらに激烈な調子で語るニーチェの本が、すでに広く読まれていました。「この位の表現であれば炎上はしない、無視もされない、かつ、最も効果的な仕方で読者の印象に訴えかけるであろう」との判断を下したオルテガの読みは、この点、非常に正確だったわけです。

2、しかし、この本が成功を収めたことの最大の理由はやはり、「誰かが言わなければならないことを、決意に基づいて言い切った」ことのうちにこそ求められるべきではないでしょうか。

「無知な者は、知恵をも諭しをも侮る」はいずれにしろ、誰かがしっかりと言わねばならない言葉ではありました。しかし、その言葉の重みを支え切るだけの知力と、実際にその行為へと乗り出すだけの行動力、そしてその言葉を、他でもない真実の言葉として語るだけの決意とを兼ね備えた人が、その言葉が語られるためには必要でした。当時47歳であったホセ=オルテガ=イ=ガセットは、この困難かつ気の重い務めを自分の務めとして引き受け、他の誰でもない、自分自身の言葉として公の世界に発表しました。その結果、すでに述べたように、予想をはるかに超える大成功が彼を待っていたというわけです。

おわりに

大衆社会の到来を前にして時代の危機を告げ知らせ、これを痛烈に批判する『大衆の反逆』は、しっかりとものを考え、世の中に流されることなく生きようとする全ての人に向けられた、友情と連帯の書でもありました。この本が成功したことは、言うべきことをきちんと言った人が報いられることもあるということを、私たちに教えてくれる好例であると言えるかもしれません。

philo1985

philo1985

東京大学博士課程で学んだのち、キリスト者として哲学に取り組んでいる。現在は、Xを通して活動を行っている。

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