大嶋裕香(おおしま・ゆか)さんの著書『神に愛された女性たち──西洋名画と読む聖書』(教文館)が刊行された。大嶋さんはキリスト者学生会(KGK)の総主事・大嶋重徳(しげのり)さんの妻で、一男一女の母であり、セミナー、講演、執筆活動を行っている。3回目の今日は、人前で話すのが苦手な大嶋さんが変えられた経験について聞いた。
──夫である大嶋重徳さんとはいつ出会われたのですか。
KGKの全国集会です。私が大学3年の時で、グループが同じだったことがきっかけです。その時はお互いに他の人とお付き合いをしていたので、特に意識はしていませんでした。その2年後、京都の大学に通っていた彼から、「就職活動で上京するので、以前のグループのメンバーで会えないか」と連絡をもらいました。当時、私は大学を卒業して宣教団体で働いていて、他の人たちもそれぞれ就職していて都合が合わず、誰も来られなかったのです。でも、せっかく京都から出てくるのに気の毒だと思い、自分だけでもと思って、新宿のアルタ前で待ち合わせて食事をしました。その1日がきっかけでお付き合いが始まりました。
──遠距離恋愛だったのですね。
彼は大学卒業後、すぐにKGKの関東地区主事になったので、京都から私が住む埼玉市内に引っ越してくることになりました。以前から「近くにしてください」と祈っていたので、導きにびっくりしました。遠距離の時期は半年で、2年半お付き合いをし、KGKで働いてから3年目で結婚。その後、彼は神戸改革派神学校に入学し、そこで二人の子どもが生まれました。神学校卒業後はKGKの主事に復職し、埼玉に戻ってきました。
──結婚セミナーはいつ頃から始められたのですか。
結婚してからもKGKの夏のキャンプに家族で参加して、そこで女子学生に向けて恋愛・結婚の話や、女性として生きるとは何かを話していました。20代の頃からずっと自分の体験を語ってきました。
──そこから今の働きにつながったのですね。
実は、私は人前で話すのがとても苦手で、いつも話したくないと逃げていました。一方、夫は人前でもまったく緊張せず、すらすら話せてしまうタイプです。そんな夫から、「裕香は賜物(たまもの)があるのに、タラントを土に埋めたままでいいのか」と言われたのですね。「そう言われたら、やるしかない」ということで、KGKの集会などで何とか語ってきました。でも、いつも緊張して、「やだ、やだ」と思いながらやっていました。
それが変わったのが7年前です。毎年クリスマスに米国カリフォルニアで、現地に暮らす日本人クリスチャンを励まし、主の働きのために整えるための修養会、ec(equipper conference)が開催されているのですが、7年前、そこに夫がメイン・スピーカーとして招かれました。私も女性集会で講演を依頼されました。
100人もの前で話したことは今までになく、しかもアメリカ。大きな緊張を抱えたままカリフォルニアへ行き、講演会前日、夫とは別のスピーカーのメッセージを聞いていました。その中で話されたのもタラントのことでした。そのメッセージが私に与えられていることに気づいて号泣し、「神様、ごめんなさい。ずっと嫌だと言い続けてきましたが、もし私に1タラントでもあるならば、それを用いてください」と祈って、ささげました。
翌日はひどい咳(せき)に悩まされていたのですが、壇上に上がると、その咳はピタリと止まり、話している時もすごく満たされていて、それは波打ち際に恵みがひたひたと押し寄せる感じでした。そんな体験をしたのは初めてでした。話を終え、壇上から降りた途端、また咳き込んでしまい、「神様が守ってくださった」と心から感謝しました。その後、海外も含め、さまざまなところでの講演の奉仕をいただくようになりました。7年前のこの出来事は、私にとってのターニング・ポイントです。
──賜物を用いる勇気を与え、後押しをしているのは夫の重徳さんだと感じます。理想的な夫婦ですね。
私の両親はとても仲がよく、あの年代の日本人には珍しく今でも名前で呼び合っています。私はそんな両親を尊敬していて、そのことは私の結婚生活に反映しているかもしれません。
ただそれ以上に、この20年間、結婚セミナーをやってきて、その中で人間の肉体的な弱さ、精神的な弱さを取り上げてきました。このようなセミナーをしてきたことがお互いのコミュニケーションにものすごく役立っているという部分があります。
決して理想的な夫婦ではなく、私たちも苦しみながら、葛藤しながら、私の体調が悪い時に、夫がどうやってそれを助けるか、または夫が苦しんでいる時に、どうやって妻として助けるかということを、20年かけて作り上げてきました。神様の愛と赦(ゆる)しの中で、結婚、夫婦、子育てについて二人で考えて祈ってきたことが、私たち夫婦にとって大きかったと思います。
──最後に、今後のお働きについて教えてください。
私は神学校で専門の勉強をしてきたわけではありません。これまで20年間語ってきたのは、自分の結婚や家庭生活の証しで、そういう部分なら私も語ることができる、神様がそういう部分で私を用いてくださる、神様に用いてほしいと思っています。私の本質を愛してくださっているその方の呼びかけの中にいたいなと思っています。(了)