【映画評】 ごく普通の人々が「声にならない声」を拾い上げる時 『ONE LIFE 奇跡が繋いだ6000の命』

声にならない声

1938年、スデーデン地方を併合したナチス・ドイツの侵攻は止まらず、プラハは行き場のないユダヤ人難民であふれていた。寒さと飢えで多くの子どもが冬を越せないと知ったニコラスは、仲間を集めてロンドンへの児童輸送に乗り出す。多くの協力を得て計8回の輸送を実現するが、最大規模となる9回目の輸送当日、戦争が始まって国境が閉鎖されてしまう。助けられなかった子どもたちを思うニコラスは、その後の50年を苦悩と共に過ごすことになる。

本作はプラハから669人のユダヤ人難民の子どもをイギリスに避難させた、ニコラス・ウィントンの活動とその50年後を描く伝記映画。ホロコーストからユダヤ人を救った点で『シンドラーのリスト』と同テーマだが、現在と過去を交錯させつつ苦悩するニコラスに焦点を当てる点で趣きが異なる。

プラハに迫るドイツ軍の脅威と恐怖が、現在のガザに迫るイスラエル軍のそれと被って見えた。「(ユダヤ人の)ひとりの命を救うことは世界と未来を救うこと」という本作のキーワードが強調する一つの命の「重さ」が、かえってガザで虐殺された(されている)無数の命の「軽さ」を浮き彫りにしている。ニコラスたちの活動によって命をつながれた6000の人々は、現在のガザ侵攻をどう見るのだろうか。

ニコラスは助けられなかった子どもたちのことを50年間悔やみ続け、「(子どもたちのことを)考えないことで正気を保っている」と告白する。それに対して周囲は(おそらく本作製作陣も)、助けた命とその未来に目を向けるべきだと語る。

しかし、助けられなかった多くの命を「仕方なかった」と諦められるのは、見ている私たちが当事者でないからではないか。大切な人が理不尽に殺されて「仕方なかった」と簡単に諦められる人はおそらく多くない。その点でニコラスが嘆き続けたのは間違いでなかったはずだ。彼の姿はマタイによる福音書2章18節を思い起こさせる。

「ラマで声が聞こえた。/激しく泣き、嘆く声が。/ラケルはその子らのゆえに泣き/慰められることを拒んだ。/子らがもういないのだから」

ニコラスはラケルのように慰められることを拒み、その悲嘆をスクラップブックにしまい込んだ。そうやって人知れず悔やみ続けることが彼なりの弔いだったかもしれない。

Ⓒ WILLOW ROAD FILMS LIMITED, BRITISH BROADCASTING CORPORATION 2023

ごく普通の人々

このプラハにおける児童輸送(「キンダートランスポート」と呼ばれる)がニコラスたち民間人の努力で為な されたことに留意しなければならない。もちろんビザを発給したのはイギリス移民局だが、発給に至る困難な交渉と、1人につき50ポンドの保証金集めと里親探し、そして膨大な事務作業は民間人が負わなければならなかった。国家が尻込みした人道支援を、民間人が多大の犠牲を払って行ったのだ。

イスラエルによるガザ侵攻に対して国際社会の批判が高まっているが、どの国もいまだ有効な手段を講じられていない。こうしている間にも生活を破壊され、生命を奪われるパレスチナの人々が増え続けている。巷ちまたにはイスラエルを擁護し、イスラエルこそ被害者だと喧けん伝でんする声すら上がっている。

ニコラスがキンダートランスポートを実行したのは、実際にプラハのユダヤ人難民キャンプを見たからだ。それはアクセス可能な窮状だった。しかし、現在のガザには立ち入ることさえ実質かなわない。ここにも「声にならない声」がある。

ニコラスと仲間たちが行ったことはもちろん尊い。「目の前で苦しんでいる人を助けたい」という動機は人道支援を行うのに十分だ。そしてそれは特定の国や地域、人種や民族のみに対して行われるものではない。ニコラス本人は本作の映画化に際して「ごく普通の人々が非常に大きな影響を及ぼすことができる」事実が描かれることを願ったという。では私たち「ごく普通の人々」も、現在ガザで行われていることに対して、何か大きな影響を及ぼすことができるのではないだろうか。

(ライター 河島文成)

6月21日(金)新宿ピカデリー、ヒューマントラストシネマ有楽町、Bunkamura ル・シネマ 渋谷宮下ほかにて全国ロードショー。

公式サイト:https://www.onelife-movie.jp/

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