今日10月9日は「北の国から」放送開始日。1981年、フジテレビ系列の金曜夜10時からのこの連続ドラマは、翌年3月まで放送されました。東京から北海道に開拓移住した父子の物語です。第1回では、クマに襲われると勘違いした主人公の純と蛍が「天にまします……」と「主の祈り」を必死に唱えるシーンがありました。第7回では、蛍が「日曜学校に通っていたから、クリスマスの意味はイエスさまが生まれた日だと知っている」と言ってクリスマスの賛美歌を歌います。
現在も昼の連続ドラマ「やすらぎの刻~道」(テレビ朝日系)で活躍する脚本家の倉本聰(くらもと・そう)は、日本基督教団・阿佐谷東教会付属の阿佐ヶ谷幼稚園の出身。父親の山谷太郎は学生時代、信濃町教会(同教団)で洗礼を受けました。おじも新約学者の山谷省吾(やまや・しょうご)で、その紹介でクリスチャンと結婚し、倉本が生まれます。
1942年、父親は教会の月報に「決戦下に於(お)ける伝道」と題した一文を投稿し、「戦争は大きな罪悪であります」というくだりが問題となったと「東京新聞」(2014年9月15日付)が報じています。
倉本さんは、戦後信仰から遠ざかったものの、正義感は父から受け継いだとの自負がある。代表作のドラマ「北の国から」では、主人公が食事前に神に祈る。父が戦時中も祈りを欠かさなかったからだ。倉本さんも、スポンサーに表現を制限されて苦々しく感じたこともあった。「信仰を規制されることがどれほど嫌なことだったか」
52年、52歳で父親が亡くなり、74年、母親が天に召されて間もなく、倉本は東京から北海道に移住。そうして「北の国から」が生まれました。