今日10月29日はアブラハム・カイパーの誕生日。オランダの政治家であり、改革派の神学者です。
「選民思想」といわれるように、クリスチャンもしばしば独善的になり、この「今日は何の日」でもノンクリスチャンを取り上げると「けしからん」と言って怒る人がいます。「救われた人」と「救われていない人」、聖と俗という二元論で物事を単純化しようとするのです。
カルヴァンから始まる改革派神学では、「一般恩恵」といって、非キリスト者による文化的・社会的営為への貢献も正当に評価します(キリストによる救いが「特別恩恵」)。
カイパーも、人間は全的に堕落しているにもかかわらず、行動に美しく立派なところがあるのは、神の恵みが働いて罪を抑制しているからだと考えました。たとえば、信仰の父アブラハムが妻サラを妹だと言ってだましたのを、異教の王アビメレクが非難したように(創世20章)。
このように聖書をよく読むと、「一般恩恵」はさまざまな箇所で認めることができます。
「父は悪人にも善人にも太陽を昇らせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降らせてくださる」(マタイ5:45)
人は皆、上に立つ権威に従うべきです。神に由来しない権威はなく、今ある権威はすべて神によって立てられたものだからです。(ローマ13:1)
(異教の)ヒラムは知恵と洞察力と知識に満ち、青銅にかけてはどんな仕事にも通じていた。彼はソロモン王のもとに来て、ゆだねられたあらゆる仕事をした。(列王上7:14)
クリスチャンがすべての領域で優れているわけではありません。むしろパウロが言ったように、「わたしは、その罪人の中で最たる者です」(1テモテ1:15)という自己認識を忘れてはなりません。
クリスチャンだけの世界に閉じてしまうのではなく、特に日本ではもっと開かれた心で、一般の人や文化とキリスト教との関わりを発信していく必要があるのではないでしょうか。神さまが支配されている領域は、小さなキリスト教世界だけではないのですから。(それに、誰もが知っているクリスチャンを毎日探すのはたいへんなのです)