【インタビュー】内藤淳一郎さん 信仰は、キリストの言葉を聞くことから始まる(前編)

 

日本バプテスト連盟・茗荷谷(みょうがだに)キリスト教会(東京都文京区)協力牧師の内藤淳一郎(ないとう・じゅんいちろう)さん(82)の「一日の発見」の連載が1月1日から始まった。内藤さんに話を聞いた。

──今回の連載の元となった『一日の発見──365日の黙想』を自費出版された経緯を教えてください。

日々、聖書を読み、祈って神の言葉を聞くことは大切です。それによって霊性が養われ、自立した信徒の群れである教会が形成されていきます。この本も、個人的な礼拝(黙想)を大切にしている人たちに用いていただければと思い、出版しました。

──対象はクリスチャンでしょうか。

伝道的な本というよりは、クリスチャンの人たちがこの本を読んで、日々、神様との交わりを持ち続けながら歩んでほしいと思っています。ただ、インターネットで「クリスチャンプレス」を読む人は、クリスチャンでなくても、キリスト教に関心がある人だと思うので、「こういうふうに聖書を読むことができるのか」と分かってもらえればいいですね。

──聖書の解釈には、教派によって違いがあるようです。

この本も、私が所属する教会(日本バプテスト連盟)の立場が反映されているかもしれません。人間ですから、それぞれ主張があって、それで違いが出てくる。ただ私は、いろいろな立場があることを踏まえた上で、自分たちの捉え方を絶対化しないことが大事だと思っています。絶対化すると、対立してしまいますから。

日本聖書協会の出される聖書にしても、翻訳する時には、カトリックの人もいますし、プロテスタントも主流派や福音派の人もいます。いろいろな立場がある中で、共通するところは喜び合って、違うところはお互い尊重し合う。そういうことでないと、エキュメニカル(すべてのキリスト教教派の一致を目指すこと)にはできません。

──具体的なディボーション(個人が毎日聖書を読み祈ること)の方法があれば教えてください。

お勧めは、朝にすることです。夜は疲れてしまうので。朝起きて何もしない前に、神様に向かって「今日1日ありがとうございます。今から聖書を読みますので、あなたの言葉を聞けるようにしてください」と祈ってから聖書を読んでいきます。それで、どういうことが書いてあるのかを思い巡らし、「今日はこういうことが聖書に書いてあったな」と心に留めるようにすればいいのではないでしょうか。

その中で、聖書が何を言っているのか分からない場合もあるので、このような解説書が助けになると思っています。ただ、同じ聖書の箇所でも、解説する人によって違う捉え方をするので、「これでなければいけない」ということはありません。

聖書は、「あの時はこう読んだけど、いま読んだら違うかたちで神様が語りかけてくる」ということもあります。その時に置かれている状況や環境によって聖書の聞き方はその都度違ってきます。ですから、いろいろな解説の本と一緒に聖書を読まれるのがいいかと思います。

──ディボーションを継続するコツはありますか。

「信仰は聞くことにより、しかも、キリストの言葉を聞くことによって始まるのです」(ローマ10:17、新共同訳)とあるように、私たちの信仰は神様の言葉を聞いて始まり、祈ることを通して神様と交わることができます。聖書では「何でも祈りなさい」とありますから、「こんな祈りをしてもいいのかな」とは思わないで、自分の言葉で神様に話しかけていいのです。祈りのかたちに決まりはなくて、自分の思いをそのままぶつけていく。それが祈りです。また、私とあなたが会っても、話さなければ交わりはないけれど、聞いたり話したりすることで交わりができるように、神様と会話をするのが神様との交わりだと思います。

少年サムエルが言ったように「お話しください。僕(しもべ)は聞いております」(サムエル上3:10)と祈りながら聖書を読んで、解説書を読んで、「今日の御言葉をありがとうございました。今日はこういう予定がありますが、人々との良い出会いと、あなたの御心を行うことができるように守ってください」と祈ればよく、15〜20分あればできます。

──そこでは自分を飾る必要はない。

「信仰に模範的なものはない」というのが私の考えです。「こんなことをしているから模範的なクリスチャンだ」とか決めつけないで、神様は私たちをそのまま受けれてくださる方だと信じていればいいのではないでしょうか。ディボーションも「こうする」ではなくて、良い習慣を身につけるようにする。主の日の礼拝も、続けているうちに、「さあ、行こう」でなくても、良い習慣となって身についていきます。「信仰は良い習慣を身につけること」ではないかなとも思います。

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