10月13日「キリストにおいてお選びになりました」

天地創造の前に、神はわたしたちを愛して、御自分の前で聖なる者、汚れのない者にしようと、キリストにおいてお選びになりました。(工フェソの信徒への手紙14節)

今日の聖句は、私たちが救われて、神の前で聖なる者とされたのは神の選びであると語る。ここから救われる人は決まっているという予定説の教理がまれ、それでは人間の側の信仰は不要なのかという議論が起こった。

聖書には、神の選びと人の信仰が両輪のように語られている預言者ハバククは「神に従う人は信によって生きる(ハバクク24)とい、パウロはこれを受けて、「人が義とされるのは仰による」(ロ3・26)と語る。主イエスは「神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」(マルコ15)と宣教し、人ひとりに仰を求め( ヨハネ11・26)、仰の人を称賛した(マタイ15・28)。 他方、イスラエルが神の民とされたのは神の選びである(申命記76また、イエスは弟子たちにわたしがあなたがたを選んだ」(ヨハネ15・16)と言う

私たちの救いは神の選びによるのか信仰によるのかというではない。今日の聖句の「天地創造の前」の神の選びとは、救いが神の方的な恵みに基づくことを語っている。救いは私たちを救う神の意志と、独り子を世に与えるという神の愛による私たちが救われたのは、私たちの信仰に先立つ神の恵みであったと知る時、私たちは神に感謝し、心から神をほめたたえるのである。私たちが神に選ばれたのは、「神がその愛する御子(みこ)によってえてくださった輝かしい恵みを、私たちがたたえるため」(6節) である神に選ばれた群れである教会のなすべきの目的は、礼拝である

内藤淳一郎

内藤淳一郎

西南学院大学神学部卒業後、日本バプテスト連盟の教会で牧会、鹿児島大学哲学科のカトリックの神学の学びから、鹿児島ラ・サール高校でも教える。日本バプテスト連盟宣教室主事、日本バプテスト連盟常務理事を8年間務める。

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