9月12日「大喜びでエルサレムに帰り」

イエスは、………祝福しながら彼らを離れ、天に上げられた。彼らはイエスを伏し拝んだ後、大喜びでエルサレムに帰り、(ルカによる福音書24章50〜52節)

人の子イエスによる神の啓示の時は終わった。しかし、それは終わりではなく、大いなる救いの始まりであった。天に上げられた主イエスは、今は聖霊の主として、時間や場所に制限されず、あらゆる時代と場所で生きて、救いのために働かれる。二千年前、この地上で、語り、御業(みわざ)を行われた主イエスは、今、聖霊の主として、どこででも語り、御業を行われる。

聖霊の主は信じる者を救い、御許(みもと)に呼び集め、ご自分の教会を建てる。聖霊の主は、たえず神を礼拝し、主の証人として生きる教会を祝福し、執り成しておられる

今日の聖句は、主イエスが天に上げられて見えなくなった時、弟子たちは「大喜びでエルサレムに帰った」と語る。エルサレムは主イエスが十字架につけられた場所である。この場所で、最初の弟子たちは主の証人として生きなければならない。この厳しいエルサレムに弟子たちが喜んで帰ったのは、なぜか。天に上げられた主が彼らを祝福したからである。弟子たちはこれから後、いつまでも自分たちを祝福してくださる主の臨在(りんざい)を確信した。ここに弟子たちの喜びの源がある

主は今も、それぞれの「エルサレム」で生きる弟子たちを祝福しておられる。教会の礼拝の最後に、「主イエス・キリストの恵み、神の愛、聖霊の支わりが、あなたがた一同と共にあるように」(Ⅱコリント13・13)という祝祷(しゅくとう)がある。派遣の祝福とも言われる。祝祷の時、私たちは主が私たちを祝福して、この世に派遣されるのだと知って、最初の弟子たちのように大喜びで、私たちの生活の場であるエルサレムに帰る。

内藤淳一郎

内藤淳一郎

西南学院大学神学部卒業後、日本バプテスト連盟の教会で牧会、鹿児島大学哲学科のカトリックの神学の学びから、鹿児島ラ・サール高校でも教える。日本バプテスト連盟宣教室主事、日本バプテスト連盟常務理事を8年間務める。

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