神はわたしたちに、新しい契約に仕える資格、文字ではなく霊に仕える資格を与えてくださいました。(コリントの信徒への手紙Ⅱ 3章6節)
聖書は「神の救いの歴史」を人間の手で記した書物である。旧約と新約は、「旧い契約」と「新しい契約」という意味である。紀元前、神は人類の祝福の源となる民としてイスラエルを選び、これに律法を与えた。これに応えてイスラエルは律法を守り、神の栄光を証しする契約を神と結んだが、彼らはこれを破った。神は彼らに神の義と愛を示して、悔い改めを迫った。しかし、律法は彼らにとって、神の裁きをもたらすもの以外ではなかった。神は旧約の預言者たちを通して、「新しい契約を立てる日」(エレミヤ31・31参照)を約束し、時が満ちたとき、御子を世に遣わされた。御子キリストはへりくだって人となり、ご自分を罪の贖(あがな)いの供え物とされた。神はキリストの死による罪の贖いを信じる者を義とされる。これが「新しい契約」である。
「義とする」とは、神が信じる者に「わたしはあなたの神となり、あなたはわたしの子となる」と語り、その言葉を信じる者の心に刻んでくださることである。私たちが神に義とされるのは、神の一方的な恵みであるが、その恵みは信仰によって私たちのものとなる。ゆえに、御子を信じるかどうかに全人類の救いはかかっている。神はキリストを信じる者を召し、神の義と愛が支配する神の国を打ち建てられる。神の国はキリストにおいてすでに開始しており、終わりの日に成就される。今日の聖句は、神の救済の歴史において、神が「新しい契約」を成就した事実と、この新しい契約に仕える者とされた私たちの光栄と責任を覚えさせる言葉である。