神は、あらゆる苦難に際してわたしたちを慰めてくださるので、わたしたちも神からいただくこの慰めによって、あらゆる苦難の中にある人々を慰めることができます。(コリントの信徒への手紙Ⅱ 1章4節)
パウロには伝道旅行の困難と共に、彼に対する迫害や中傷があった。そのために、彼はひどく圧迫されて、しばしば生きる望みさえ失ったという。そのような時、彼は「死者を復活させてくださる神」(9節)を頼りとした。そして、不思議にも死の危険から救われ、神の満ちあふれる慰めを与えられた。この信仰体験から、パウロはコリントの信徒たちに、神は「慰めを豊かにくださる神」であると語る。本書簡の冒頭には「慰め」という言葉が繰り返されるが、「慰め」の原語は「側(そば)に招く」である。私たちと同じ人となり、私たちと同じ苦しみ、いや、私たちの想像できない十字架の苦しみを受け、神によって復活させられたキリストが私たちを側に招いてくださる、ここに慰めがある。イエス・キリストの父である神は、私たちが耐えられないような苦しみにあっている時、私たちにあふれる慰めを与えて、そこから立ち上がらせる神である。
パウロは今日の聖句で、私たちは苦難の中で神に慰められるので、苦難の中にある人々を慰めることができると言う。教会は、神に慰められる者が他者を慰める「慰めの共同体」である。この日本では、神の慰めを知らないために、毎日、百人近くの人が自らの命を絶っている。また、神の慰めを知らないために、他者を思いやれず、身勝手に他者を傷つける人々がいる。教会は、神に慰められた者が、慰めを知らない人たちに神の慰めを証しするために、神によって立てられている。