信仰と、希望と、愛、この三つはいつまでも残る。その中で最も大いなるものは、愛である。(コリントの信徒への手紙I 13章13節)
ギリシャ語で「愛」という言葉にアガペーとエロースとがある。この手紙の13章で語られている「愛」はアガペーである。エロースは真善美などの価値あるものを求める愛である。ゆえに、価値のないものには目もくれないし、価値があっても無くなれば捨てる。エロースは移ろい、消えていく人間の愛の現実でもある。これに対して、アガペーは他者のために自分を投げ与える愛である。それはキリストの十字架を通して現れた神の愛である。キリストにおける神のアガペーが、私たちを神の子として生んだのである。教会は神の愛によって生まれ、神の愛によって結ばれた集まりである。私たちは神の愛に育まれて、他者に心を開く者に変えられてゆく。
神の国が成就し、新しい世界が来る。その時、この世のすべてものは廃れる。若くて美しかった体も、知識も能力も、功績も財産も廃れる。しかし、その時、今あるものの中で、「信仰と希望と愛」だけは永遠に残る。信仰とは、私たちに向けられている神の愛に応えることである。希望とは、救いを完成される神に自分を賭けていくことである。愛とは、罪深い私たちを神の子とする神のアガペーである。すなわち、今、神を信じていること、神に望みを抱いていること、神に愛されていること、この神との関係だけが永遠に残る。なぜなら、新しい世界でも私たちは神の子だからである。子が父を信頼し父に期待するように、神の国において、私たちは神に信頼し神に望みを置く。「その中で最も大いなるものは、愛である」。信仰も、希望も、神の愛に根拠を持つからである。