あなたがたはキリストの体であり、また、一人一人はその部分です。(コリントの信徒への手紙I 12章27節)
キリストはこの世にご自分の体を持たれる。大きな群れ、小さな群れを問わず、「イエスは主である」と告白する全世界の教会はキリストの体である。キリストは教会を体として、世にご自分を現し、救いの業を進められる。
教会は「イエスは主である」と告白する者によって構成される。一人ひとりはキリストの体の部分である。神は一つ一つの部分をキリストの体に配置し、結び合わされる。結ばれた部分は、他の部分が苦しめば苦しみ、喜べば喜ぶ関係である。しかし、他者の苦しみや喜びを共有できない私たちの限界と現実がある。これに対して、今日の聖句は、人と人との結びつきよりも先に、私たちがキリストの体と結ばれている教会の現実を語る。
私たちは人の喜びを喜び、人の苦しみを真に苦しむことができるただ一人の方と結ばれている。キリストは私たちの苦しみを苦しむ方として十字架につけられている。この方と結ばれていることによって、私たちは他者の苦しみと喜びを共感することを理想化しないでよい。自分に理想を求めて自分を責めないでよい。また、他者に理想を要求して、他者を裁くことをしない。共にキリストと結ばれていることを喜ぶ。
「キリスト教共同体は、それが、自分の勝手な願いから出た幻想に生きたために、何回となく崩れてしまった。...神は幻想を憎みたもう。一つの共同体の幻想を夢見る者は、その実現を神に、他の人々に、そして自分自身に求める。彼はキリスト者の共同体の中に要求を持つ者として入り、自分の律法をうち立て、それによって兄弟と神ご自身を裁く」(ボンへッファー)。