6月8日「不信仰とかたくなな心をおとがめになった」

その後、十一人が食事をしているとき、イエスが現れ、その不信仰とかたくなな心をおとがめになった。(マルコによる福音書16章14節)

マリアは空の墓と主イエスの復活を告げるみ使いの言葉に驚き、恐ろしくて黙っていた。そのマリアに復活の主が現れた。彼女の恐れは喜びに変わり、彼女は主が復活して生きていると弟子たちに告げた。しかし、弟子たちは聞いても信じなかった。

二人の弟子が失意のうちに田舎に帰る途上にあった。その二人に復活の主が現れた。地上の主とは「別の姿」であったので、最初は分からなかったが、道々、語り合って、主だと分かった時、二人はエルサレムにとって返し、他の弟子たちに伝えた。しかし、彼らは二人の言うことも信じなかった。

その後、十一人の弟子たちに復活の主が現れた次第が、今日の聖句である。主は弟子たちの不信仰を強く責めた。彼らが「復活されたイエスを見た人々の言うことを、信じなかったからである」。主イエスが求める信仰は、主の復活を告げる証人の言葉を信じることである。「あなたはわたしを見たので信じたのか。見ないで信じる人は幸いである」(ヨハネ20・29)。

復活の主はこの不信仰な弟子たちを福音伝道の働きに召した。弟子たちは人々の前に出て行き、「神はイエスを復活させられたのです。私たちは皆、そのことの証人です」(使徒言行録1・22)と大胆に語った。弟子たちは復活の光に照らされて、主イエスの生涯と十字架の死が旧約聖書に預言されていた神の救いの成就だと知ったのである。

私たちは主イエスの復活を聞いても信じられない人間である。この不信仰な私たちに主が近づき、道々、聖書を解き明かし、死に打ち勝つ復活の信仰へと導いてくださる。

内藤淳一郎

内藤淳一郎

西南学院大学神学部卒業後、日本バプテスト連盟の教会で牧会、鹿児島大学哲学科のカトリックの神学の学びから、鹿児島ラ・サール高校でも教える。日本バプテスト連盟宣教室主事、日本バプテスト連盟常務理事を8年間務める。

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