行って、わたしの兄弟たちにガリラヤへ行くように言いなさい。そこでわたしに会うことになる。(マタイによる福音書28章10節)
日曜日の朝、墓に向かった婦人たちに、復活の主イエスが現れ、「シャローム」(平和があるように)と声をかけた。まさしく、罪の贖(あがな)いを果たした復活の主は、「神の平和」をもたらす方である。彼女たちは主の言葉を聞き、恐れながらも大いに喜び、弟子たちに知らせるために走った。復活を信じることは、当時の人々であれ、現代人であれ困難である。「人間は死んだらおしまい」、それが私たちの共通認識である。しかし、無から有を創造される神は、主イエスの復活によって、私たちの思い込みを粉砕する。「人間は死んだらおしまい」と思い込ませ、人間を刹那的なものに駆り立てる死を粉砕する。私たちの生は、死によって万事が終わるのではない。復活の主イエスは目に見えないが、今生きて、私たちに語り、導き、同伴してくださる。主イエスを信じ、主イエスと共に歩むようになった私たちにとって、死は終わりではなく、本当の明日に向かって歩む旅立ちである。「神は豊かな憐れみにより、わたしたちを新たに生まれさせ、死者の中からのイエス・キリストの復活によって、希望を与え、また、あなたがたのために天に蓄えられている...財産を受け継ぐ者としてくださいました」(Iぺ卜ロ1・3〜4)。
今日の聖句は、復活の主イエスに出会う場所はガリラヤであると告げている。ガリラヤは主イエスが福音を語り、み業を現された場所である。今日、私たちが復活の主とお会いできるガリラヤは、主が福音を語り、み業を現される教会である。ここで私たちは主にお会いし、復活の信仰が与えられる。