不法がはびこるので、多くの人の愛が冷える。しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われる。(マタイによる福音書24章13節)
壮大な神殿を見て圧倒されている弟子たちに、主イエスは神殿の崩壊を予告した。弟子たちはこの堅固な神殿が崩壊するとすれば、それは世の終わりの時であると思い、それはいつ、どのようにして来るのかと主イエスに尋ねた。主は「人に惑わされないように気をつけなさい」と弟子たちに言った。未来に希望が見えない閉塞状況の時代には、偽メシアが現れ、人々を惑わすからである。また、主は「慌てないように気をつけなさい」と言った。戦争、地震、飢饉(ききん)が起って、生活の基盤を失う時、人々は慌て、絶望し、死を願うであろう。しかし、世の終わりだと思えるその時にも、慌ててはならない。「そういうことは起こる。...しかし、まだ世の終わりではない。これらはすべて産みの苦しみの始まりである」と主は言う。
神は歴史の支配者である。神の歴史支配を信じる者は、世の終わりと思える時代であっても、破滅的な終末を語る偽メシアや、独善的な指導者の言葉に惑わされない。また、神が世の終わりに御国を完成すると信じる者は、終わりの時が来ても絶望せず、希望に生きるであろう。世の終わりを思わせるような苦難は、教会にも襲ってくる。福音を宣べ伝える弟子たちは憎まれ、迫害される。その時、多くの人が信仰につまずき、愛が冷え、希望が砕かれる。「しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われる」。最後まで信仰に留まり、福音の証人として生きる者は、終わりの日に、神の国の祝福を受け継ぐのである。「御国のこの福音はあらゆる民への証しとして、全世界に宣べ伝えられる。それから、終わりが来る」(14節)。